「日本一金儲けの上手い政治家です!」竹下登への“ほめ殺し”街宣 皇民党事件を振り返る

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■有形無形の“介入”が

 そうした「異形の活動」は、さまざまな“介入”を受けてきた。92年11月5日、東京佐川急便事件の第4回公判で朗読された大島党主の検事調書には、ほめ殺しの中止を申し入れてきたという7人の自民党議員が登場した。それは、

〈金丸信、小渕恵三、梶山静六、森喜朗、浜田幸一、浦田勝、魚住汎英〉(敬称略)

 中でも金丸元副総理は、代理人を通じて中止の見返りに30億円、森元首相は20億円をそれぞれ提示したという。浜田、浦田、魚住の3議員は皇民党との接触を認めたものの、残り4人は否定。いずれにせよ議員たちは誰一人解決に導けず、打つ手なしだったのだ。

 政治家のみならず、その意を受けたとみられる右翼団体、名の通った暴力団の圧力もあったという。

「土地土地の渡世の人からずいぶん話があった。最初は脅して、通じないと情に訴えてきた。先代も『身の安全は保証しない』などと物騒な言葉をぶつけられていたが、我々は『あんたらのシノギに関わるのなら妥協点も見つけようが、こっちは欲得でなく国のあり方、根幹を論じている。黙っててくれ』と、そのつど理詰めで追い返していた」

 こうした事態を招くのは織り込み済みだった。

「運動に加えてほしいという申し出も他団体からあったが、皆さんそれぞれ付き合い、しがらみもあるだろう。途中でボロボロ刃こぼれしていくと、士気にも関わる。完全に意思疎通ができる者同士でないと難しいので、最初から車もメンバーもすべて自前で揃え、『我々は行くところまで行くと思うから』と、お引き取り願ってきました」

 都心にとどまらず、皇民党は地方の温泉で催された竹下派議員や秘書の研修会場、あるいは元首相のプレーするゴルフ場にも駆け付け、先々で街宣を展開した。

「我々には竹下のスケジュールは筒抜けだった。情報はおもに現職の自民党議員の公設秘書たちからもたらされ、一日一日、すべて把握していた。今と違って議員会館のセキュリティーも緩く、特に次のトップを誰が取るのか、という時期。竹下につまずいてほしいと思う者もいたはずだ。ただ、不確かな情報もあるため、集めるだけ集めて毎晩すり合わせ、翌日の予定を決めていました。“積み重ねの情報網”というのか、ともかくチャンネルはたくさん持っていた」

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(下)へつづく

特集「大島竜みん党主が明かす 日程は筒抜けだった皇民党の『竹下登』ほめ殺し」より

週刊新潮 2016年8月23日号別冊「輝ける20世紀」探訪掲載

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