「日本一金儲けの上手い政治家です!」竹下登への“ほめ殺し”街宣 皇民党事件を振り返る

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■日程は筒抜けだった皇民党の「竹下登」ほめ殺し(上)

 政権誕生に際し、あろうことか広域暴力団のトップが関与していた――。1987年、総裁選を控えた竹下登元首相に奇妙な“声援”を送り続ける一団がいた。「ほめ殺し」で知られる皇民党事件を、現場の最前線に立っていた大島竜みん(王ヘンに民)党主の証言とともに振り返る。

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竹下登元首相(Nationaal Archief
/Wikimedia Commons)

〈竹下先生は日本一金儲けの上手い政治家です!〉

〈清廉、誠実の政治家・竹下登をぜひ新総理に!〉

 大音量でスローガンを連呼しながら、街中を徐行していく街宣車の列。応援のようでその実、当人へのダメージは計り知れない。後に「ほめ殺し」として知れ渡るこの手法は、香川県高松市に本部を置く右翼団体「日本皇民党」が87年、竹下登元首相をターゲットとして駆使したものであった。

 時あたかも、5年の長きに及んだ中曽根政権の最終年。秋には任期満了に伴う総裁選を控え、自民党内では宮沢喜一、安倍晋太郎の両氏ともども「次」が争われていた。その2年前、85年2月に元首相は、金丸信元副総理らと田中派内に創政会を結成。反旗を翻されて憤激した闇将軍はほどなく脳梗塞に倒れ、87年7月には経世会(竹下派)が発足する。地固めは着々と進んでいたのだが、そこに立ちはだかったのが皇民党であった。

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