石破茂は「角栄イズム」の後継者なのか? 『日本列島創生論』の波紋
■ポスト安倍? 角栄フォロワー?
「高度成長期の夢をもう一度」といった発想は捨てるべきだ、と石破氏
石破茂前地方創生担当相による著書『日本列島創生論』が、さまざまな波紋反応を呼んでいる。
石破氏本人は、総裁選出馬について明言を避けているが、田中角栄元総理が総理になる直前に刊行し、ベストセラーとなった『日本列島改造論』を連想し、「ポスト安倍に名乗りか」と見る向きもあるのだ。
たしかによく似たタイトルであるうえ、実は石破氏は角栄氏の「教え子」でもある。ということは、同書は「ポスト安倍」宣言であると同時に「角栄フォロワー(後継者)」宣言でもあるのか――。
まずは石破氏と角栄氏との関係から見てみよう。
そもそも石破氏の政界入りのきっかけは、角栄氏だった。父親で参議院議員の二朗氏が1981年に急逝。その時、まだ銀行員として社会人2年目だった石破氏に「君が後を継ぐんだ」とほぼ命令のような形で強引に説得をしたのが角栄氏だったのである。
結局、石破氏は20代半ばで銀行を辞めて、田中派の事務所「木曜クラブ」につとめることになる。当時の運営局長は、あの小沢一郎氏だった。
この頃、石破氏は木曜クラブに長年勤めていた事務担当の女性からこんなことを言われたことがある。
「石破さんね、田中先生はあなたを本当に小沢先生と同じように育てようと思っているんですよ。小沢先生に賭けた夢をあなたにも賭けているんですよ。
お父さんが早く亡くなられて、見所があった小沢先生を育てたのと同じようにあなたを育てようと思っているんだから、その田中先生の気持ちをあなたは忘れてはいけませんよ」
余談ながら、当時すでに当選5回で、田中角栄の秘蔵っ子として知られていた小沢氏と、事務所の食事会で同席したことがあったが、2時間の間、一度も声をかけてもらえることはなく、石破氏はひどく落胆したという。
速報「娘はフェイク情報を信じて拒食症で死んだ」「同級生が違法薬物にハマり行方不明に」 豪「SNS禁止法」の深刻過ぎる背景
■公共事業で地方は甦らない
その後、当時の選挙区事情から、出馬時に石破氏は田中派ではなく中曽根派に所属することになるのだが、若き日の石破氏にとって、角栄氏が最初の政治の師だったのは間違いない。
このような歴史を見ると、『日本列島創生論』もまた『日本列島改造論』の延長線上にあるようにも見える。しかし、実は同書で石破氏は、そうした見方を明確に否定している。
かつての高度成長期には、公共事業や企業誘致が地方に活気をもたらしたのは事実だろうが、もはやそういう時代は終わっている、というのだ。
たとえば、公共事業については次のような自説を述べている(以下、引用は『日本列島創生論』より)。
「(公共事業によって)目に見えて道路、下水道、港湾が良くなり、高速道路や空港が作られる。そこには大きな雇用もありました。これがかつての地方の活況を支えていたのは言うまでもありません。
もちろん、今でも必要な公共事業は行うべきです。『コンクリートから人へ』などという安易な考え方を私は評価しません。適切な投資をすることで救われる人命があるのは確かだからです。
しかし、公共事業で多くの雇用、所得を生むという手法がかつてのように有効ではないことは認識すべきです」
このように述べたうえで、「いまだに『大きなハコモノを作ればいい』といった発想をしている自治体はダメになる」と指摘している。
また、公共事業と同様に、企業誘致に関しても、生産の拠点がグローバル化している中で、企業が地方にやってきて、また雇用を生むということに過大な期待を寄せてはならない、と警鐘を鳴らしている。
ではどうすればいいか。そのヒントとなる全国に存在する「先駆者」「挑戦者」たちの試み、具体的な成功例を紹介したうえで、「高度成長期の夢をもう一度」といった発想は捨てるべきだ、と石破氏は主張している。
現在でも角栄氏の政治家としての評価は高く、石破氏もそれを否定はしていない。しかし、だからといって具体的な政策まで真似るのは無理があるということなのだろう。