他人事ではなかった介護殺人の恐怖 「橋幸夫」認知症の母との6年間

  • ブックマーク

■橋幸夫の場合

「この本の登場人物がやったことは、もちろん犯罪です。しかし、僕には理解できてしまう」

 こう感想を話すのは、歌手の橋幸夫(73)だ。彼は6年間にわたって、認知症の実母を介護。彼女は在宅での介護の後(のち)に、施設で最期を迎えた。『介護殺人』のケースに比べると、「穏やか」な介護体験にも思えるが、それでも橋は「介護殺人者」に同情を寄せる。

「『切羽詰って』というケースもありますが、介護対象者を愛しているがゆえに、『楽にしてあげよう』というケースもありますよね。この気持ちにはすごく共感できる。愛する人を手にかけるのは本当に辛いことのはず。でも愛情があればあるほど、相手を楽にしてあげたくなるんですよね。そういう人を、果たして単に『殺人犯』と片付けていいのかどうか」

 橋の実母が発症した1980年代は、まだ認知症という言葉が、それこそ認知されておらず、彼も戸惑ったという。

「母の様子が段々とおかしくなり、僕たち夫婦と同居してもらうことにしたんですが、最初は妄想、次に幻覚、そして徘徊を繰り返すようになりました。僕が不倫しているという妄想を近所で吹聴したり、はじめは家の中をうろうろしているだけだったのが、そのうち勝手に外に出て帰ってこなくなったりした。警察に保護されて、署まで迎えに行ったこともありました。徘徊のペースは3日に1回くらいと多く、昼夜の別なしに家を出ていくので、見張ることもできないんです」

 晩年、母親は橋が誰だか認識できなくなっていたものの、彼の代表曲である「潮来笠」を歌っていたのがせめてもの救いだった。それでも、

「患者から介護者に罵倒の言葉が投げかけられるのは耐え難いものです。病気のせいだと分かっていてもね。『私は頑張っているのに、なぜこんなことを言われなければならないのか』と感じてしまうんです。僕の場合、母のおしめの交換などは家内がやってくれて、『一拍』おけたので救われましたが、『介護殺人』で家族を殺してしまった人は、愛情が深いゆえにひとりで介護を背負い込み、それが殺人の遠因になっていると感じました」(文中敬称略)

 ***

(2)へつづく

特集「『橋幸夫』『安藤和津』『荻野アンナ』『安藤優子』『生島ヒロシ』他人事ではなかった『介護殺人』の恐怖」より

週刊新潮 2017年4月6日号掲載

前へ 1 2 3 4 次へ

[4/4ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。