他人事ではなかった介護殺人の恐怖 「橋幸夫」認知症の母との6年間
■「遺族」であると同時に「加害者」
遡ること10年の2007年9月、彼女は献身的に介護したものの、夫を「亡くした」。享年65。夫婦仲は決して悪くなかった。
「阪神(淡路)大震災の頃は、家の修理でものすごい仕事があったんよ。そやけど、それが落ち着いたら仕事がなくなった。で、旦那はアル中になって、認知症や」
夫の症状は、最終的に要介護認定4まで進んだ。
「アル中って、病院も入院させてくれへんねん。声出すし、暴れるから、3日ももたへん。ケアマネージャーさんに相談しても、あんまり聞いてくれはらへんくて。介護の時は、寝られへんのがしんどかった。旦那は昼間うつらうつらしてるから、夜目が覚めるねん。ほんで睡眠薬みたいなのも飲むんやけど、3時間くらいしか効かへん。それで夜中、『おしっこ!』言うからトイレに連れて行って服を脱がせる。そやけど、それが上手くいかへんと殴るし、蹴るし。私、身体中がもう痣(あざ)だらけやったから」
介護の過程で自身も腰を痛めた彼女は、手押し車に寄り掛かり、腰を曲げたまま話を続ける。
「最後の1年くらいは毎日1、2時間しか寝れんくて、私おかしくなってた。トイレ以外も『お腹減った!』って呼ばれて、いつ呼ばれるか分からないから意識が張り詰めて。でも、旦那は糖尿病やったからご飯出せへんねん。それで、ご飯を出さないと殴られて……」
そして07年9月を迎える。
「旦那が転んでな。1時間くらいかけて、なんとか部屋の中に入れたんやけど、『痛い、痛い』言い出して。多分、脚の骨が折れたんやと思うねん。入院したとしても、また喚(わめ)くやん。どないしたらええかなあ思って。『これ以上は、もう』と思って……」
その日の午後4時半頃、夫は息を引き取った。
「ほんまに悪いよ。したらあかんことよ。でも、もう仕方なかったんよ。今でも、仕方ないなと思ってる。お金もないし、病院も追い出されるし。やってはいけないことやいうのは分かってるんやけど……」
夫はタオルで首を絞められて息を引き取った。首を絞めたのは、他ならぬ妻であるこの女性だった。彼女は、「遺族」であると同時に「加害者」として今も生き続けている――。
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