塩野七生「デモクラシーとは、繊細なガラス細工のようなもの」 帝政ローマにもあった“自由”

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■自由尊重の精神

古代ギリシアの歴史年表

 ローマは帝政に移行した後も、自由はあったのです。アウグストゥスにとっては父親でもあったユリウス・カエサル暗殺の思想上の指導者とされていたキケロの著作全集でさえも、堂々と出版されていたのだから。

 中世・ルネサンスの雄であるフィレンツェ共和国もヴェネツィア共和国も、民主政の国ではありません。社会の上層部が政治をにぎっていたから、寡頭政の国とすべきです。

 この2国でルネサンス文化が花開いたのは、今なおこの両都市に観光客が集中することからも明らか。しかしフィレンツェは、カトリック教会から危険思想視されたマキアヴェッリを産み、同じく教会から火あぶりの刑にされかねなかったガリレオ・ガリレイを育てた都市でもあるのです。ヴェネツィアでは、教会が焚書にしていたルターの著作でさえも、街中の書店に並んでいた。

 自由を尊重する精神は、だから、民主政の専売特許ではないのです。でも、王政も少数指導政も過去の政体になった今、残ったのは民主政だけ。壊れないように注意しながら、あつかう価値は充分にあるのでは?

 なにしろ、いかなる分野のイノヴェーションであろうと、発想の自由のないところには生れないんですからね。

 それに、自由を抑圧しては、政権自体が長つづきしない。イタリアのファシズムも、20年しか持たなかった。

 古代のローマも中世のヴェネツィアも、政体としては民主政を採らなくても、この辺りの人間の心情ならばわかっていたのでしょう。

 そして、この人々が登場する物語を書いてきた私が、『民主政』には賛成でも、民主主義と聴くや頭の中に赤信号が点滅するようになった事情も、ご理解いただけたであろうか、と」

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(4)へつづく

特別寄稿「塩野七生『ギリシア人の物語II』刊行!『トランプ時代』の日本の針路 前編」より

週刊新潮 2017年4月6日号掲載

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