塩野七生「デモクラシーとは、繊細なガラス細工のようなもの」 帝政ローマにもあった“自由”

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■塩野七生『ギリシア人の物語II』刊行!「トランプ時代」の日本の針路(3)

 トランプ大統領の誕生によって「ポピュリズム」、そして「民主主義」への関心が高まっている。先ごろ第2巻が発売された『ギリシア人の物語』で古代ギリシアの盛衰を描く作家・塩野七生さんは、このシステムをどう考えているのだろうか。

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作家・塩野七生さん

 ――『ギリシア人の物語』にあらわれる「民主政」という言葉と、現代のわれわれ日本人が使う「民主主義」という言葉の間にはある種の乖離があるように思えます。

塩野「全3巻になる『ギリシア人の物語』の中で、私はこれまで『民主主義』という言葉をほとんど使っていません。たまに使っていても、皮肉をこめた反語として使っているだけ。

 なぜなら、デモクラシーの語源になった『デモクラツィア』(民主政)を創り出したクレイステネスも、それを成熟にまで持っていったペリクレスも、『主義』と言われて感ずる唯一無二の正しい思想、という意味で『デモクラツィア』を考えてはいなかったからです。彼らを書くのが目的の私にとって、『民主主義』とは書けなかった。『民主政』で通すほうが適切だと思ったからです。

 また、生前の田中美知太郎の言葉も影響した。ギリシア哲学研究の最高峰でもある先生は、あるとき私にこう言われたのです。『王政も寡頭政も民主政も、最後は誰が決定を下すかのちがいしかない。一人で決断する王政、経験と知力に優れた少数が決める寡頭政、経験や知力の差には関係なく多数が決定する民主政。その成果がどう出るかは、別の問題だ』。

『デモクラシー』とは、繊細に作られたガラス細工のようなものなんですよ。ぼくらの民主主義なんだぜ、なんて言って済むシロモノではない。上手く機能すればこれほど大衆に利をもたらす政体もないけれど、注意しないであつかうやとたんに粉々に壊れてしまうという細工品。注意しないであつかうとは、乱用ということですが。

 それでもなお私自身は、確信犯的としてもよいくらいの民主政シンパです。なぜなら、『自由』という問題になると、どの政体よりも民主政体が適していると思っているので。

 ローマの私の家のすぐ近くに、イタリアがファシズム政権であった時代に作られた『皇帝アウグストゥス広場(ピアッツァ・アウグスト・インペラトーレ)』があるのですが、古代の皇帝廟を中心にした四辺から成り立っている。作らせたのは、古代のローマ帝国が大好きだったムッソリーニ。

 だから、テヴェレ河に面する一辺は、ローマ帝国初代の皇帝だったアウグストゥスが作らせた『平和の祭壇(アラ・パチス)』が占め、他の三辺も古代風に円柱回廊になっている。

 この広場に立っていると、苦せずして古代のローマと2000年後のファシズムを比べてしまうんですね。

 並び立つ円柱は、頑丈にはできているけれど、なんでこうも神経の通っていないズンドウ型なのか。浮き彫り(レリーフ)の人物たちも、堅い感じで、生きていなくて、ゆえに美であるべきところが醜に終っている。モザイクの壁画に至っては、小学生でもこうは作らないと思う稚拙さ。

 テヴェレ河を渡った向う岸にあるサッカー場近くには、これまたファシズム時代の遺物である体育訓練場があるんですが、もちろんムッソリーニのこと、周囲には白く輝くアスリートたちの石像がめぐらせてある。遠くから見るならば周辺の緑に映えて美しい。でも近くへ行って一つ一つ見ていくと、大昔のギリシアやローマの彫像の比ではないことがただちにわかる。堅い。死んでいる。これでは競技者たちの肉体の美を讃えるどころか、ただの石の塊にすぎない。

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