酒場で無類の強さを発揮、自らバスを運転し横転…最強二枚目俳優「渡瀬恒彦」逝く

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■最強二枚目俳優も私生活は三枚目だった! 大原麗子にベッドインを拒否された渡瀬恒彦(下)

 多臓器不全で3月14日に亡くなった俳優の渡瀬恒彦(享年72)。人々の証言によって浮かび上がるのは、最強二枚目俳優の“三枚目”な私生活である。4年半を共にした前妻・大原麗子の実弟である大原政光氏からは、ベッドインを拒否されていた、なんてエピソードも飛び出した。

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渡瀬恒彦(東映マネージメントHPより)

 渡瀬と40年来の友人であった俳優の江藤潤が、こう述懐する。

「新宿三丁目から御苑界隈を飲み歩いていると、ちょくちょく威勢のいい客が絡んでくる。初め恒さんは取り合わず、ピラニア軍団が売り言葉に買い言葉で突っかかっていくんです」

 ピラニア軍団とは東映の大部屋俳優を中心に構成された面々で、渡瀬はその兄貴格だった。

「それでも収拾がつかなくなると、恒さんがいかにも猫撫で声で、“申し訳ないんだけれども、ここじゃ店の迷惑になるから、ちょっと外へ出て頂けませんか”と言うんです。自分たちには、“じっとしてろ、何もするな”って言い含めて外へ出て行く」(同)

 しばらくすると、

「服装を乱した恒さんが戻り、周りの客に“どうも失礼いたしました”と伝えて、何事もなかったかのようにまた飲み直すんです」(同)

 図らずも私生活では三枚目を演じることになった二枚目俳優は、酒場でのトラブルには無類の強さを発揮していたというわけだ。

■自らハンドルを握った横転シーン

 ところで、大原が東京で悲嘆に暮れているころ、京都で撮影されていた映画のひとつが、バスジャック犯を描いた76年公開の「狂った野獣」である。

「恒さんはどんな危険なシーンの撮影でも自らが演じ切ることを信条としてきた。その代表がこの映画で、恒さんに“バスの運転免許をお願い”と言ったら、教習所の人もびっくりするほどアッと言う間にとってきましたよ」

 と、数々の出演作でメガホンをとってきた中島貞夫監督。

「ほとんどのシーンは恒さんがバスを運転しているんだけど、最後に横転するシーンでは、スタントマンを使うつもりだった。でも“このシーンのために免許をとったんだ”と譲らない。私は“曲がりなりにもスターなんだから、顔にケガでもしたらどうするんだ”と諫めたけど納得しない。結局、恒さんが運転してバスを横転させたんだよ」

 件(くだん)のピラニア軍団を巡ってはこんな笑い話も。

「この映画でもピラニアの俳優がジャックされたバスに乗っていたんだけど、横転するシーンなんかでは当然バスの中にいたくない。でも、普段お世話になってる恒さんが運転することになっちゃったから、彼らとしてもバスを降りるわけにはいかなくなったんだよね」(同)

 ところが、渡瀬の売りだったイキのよさが惨事を招くことになる。

 77年2月、深作欣二監督による「北陸代理戦争」のロケで、オープンのジープを運転。現場は越前海岸で記録的な大雪がやってきていた。渡瀬は運転ミスでジープから放り出され、ジープに足を潰されてしまったのだ。中島監督によると、

「恒さんは運転に関して自信過剰になっていた。だから事故を知ったときは“言わんこっちゃない”と思いました。何でも自分でやるというから、いつかこういうことになるのではないかと心配だったんですよ」

■大原との関係

 嫁姑問題、セックス拒否に大ケガ。悪いことが重なるというよりはむしろ一挙にやってきた恰好で2人は78年に協議離婚を選択した。

 その後、互いに伴侶を得たりしたが、渡瀬には三枚目を演じさせられた忸怩たる思いは微塵もない。先の政光氏によると、

「晩年、姉はえり好みするせいで仕事がどんどん減っていきました。そんななか2004年ごろですが、渡瀬さんが主演している作品へのオファーがきたのです。その撮影の際、渡瀬さんは監督のように張り切っていたようで、“今日はすごいねとスタッフから彼が冷やかされていた”“まるで私を意識しているようでとても嬉しかった”などと姉は舞いあがっていました」

 更に、大原が亡くなる半年前のこと。

「躁鬱状態にある姉はしばしば知人に電話をかけており、渡瀬さんのご自宅にもそのようにしていました。ちゃんといまの奥様が渡瀬さんに取り次いでくれて、姉は“会いたい”とこぼしていたそうです」(同)

 一度惚れたなら突っかえ棒であり続ける、渡瀬なりのイノセンスが窺えるのだ。

特集「最強二枚目俳優も私生活は三枚目だった! 『大原麗子』にベッドインを拒否された『渡瀬恒彦』」より

週刊新潮 2017年3月30日号掲載

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