朝日新聞、軍部の「声」代弁の読者投稿欄 知られたくない不都合な真実
■ひた隠す都合の悪い「声」
そんな朝日がひた隠しにした「声」はまだある。
あれほど眼の敵にしてきた靖国神社について触れた「戦死者の合祀」(37年12月25日)という投稿だ。
時は日中戦争が勃発し、戦死者が増えた時代。〈全国の誰でも彼でもが東京まで行つて参詣することは容易でない〉と言う投稿の主は、英霊を故郷の神社に分祀すれば、全国に靖国の末社ができると主張する。現在の紙面では決して目にすることのできない「声」なのだ。
朝日OBで経済部記者や「週刊朝日」副編集長を務めた永栄潔氏によれば、
「朝日が『銃後の覚悟』として、積極的に軍を応援するような内容を『声』欄に載せていたのは、朝日の記者なら誰でも知っていることです。奇しくも今回の記事では〈時に世の中を動かす力にもなりました〉と書いていますが、新聞が戦争を煽って助長させた。私はそれを殊更に責めるわけではないけれども、その時々の空気や風潮に合うものだけを載せるという朝日の『声』欄の性質は、当時から変わらない。こうした姿勢には違和感を覚えます。戦時中と現在、方向は逆になっているようにみえますが、紙面づくりの本質はまったく変わっていません」
実際、戦後はうって変わり、悲惨な戦争体験を大々的に掲載し続けてきた「声」欄。2003年には『戦場体験 「声」が語り継ぐ歴史』を上梓して、〈「銃後」の人びと〉をテーマにした記事は、朝日の名物企画になっている。
東京大学史料編纂所元教授の酒井信彦氏が言う。
「朝日は07年から1年間、『新聞と戦争』という連載を掲載していました。これで戦時中の自社記事を検証し反省したということになっています。後に、この連載をまとめた本を出版した際、作家の井上ひさし氏が、“引き続き勇気をふるって、自己点検を続けてほしい”と寄稿していますが、それを現在の朝日が続けているとは思えません」
朝日新聞社広報部は、
「戦時中の報道につきましては、戦後の再出発にあたって、国策に同調し、真実の報道を貫けなかったことを深く反省し、同じ過ちを繰り返さない決意を表明しております」
と言うばかりだが、2月8日付の看板コラム「天声人語」では、改めて「声」欄をこう評してもいる。〈色々な人の体験や意見を世に届ける。100年変わらぬ新聞の存在理由だろう〉。
どうやら都合の悪い「声」をひた隠すのは、朝日のお家芸のようである。
特集「『声』欄100周年でも『朝日新聞』がひた隠しにした戦時中の『声』」より
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