朝日新聞「声」欄100周年 ひた隠しにした戦時中の“声”
■「日本は神国である」
太平洋戦争開戦直後の41年12月12日付夕刊に掲載された「銃後の覚悟」と題した投稿は、筆名で〈愛国生〉と名乗る人物が寄せている。戦勝ニュースで仕事の手を休めてはならないと説くのだが、〈戦時の常として、いろいろと根も葉もないデマが飛ぶことを免れないと思ふが、国民は政府を絶対的に信頼して、公表された以外は、決して軽々しく愚にもつかぬことを、口にしないやうにすべきである〉と息巻くに至っては、大本営発表を是とせよという“暴論”を、朝日はタレ流していたことになる。
日米開戦直後の42年1月6日付夕刊に載った「西暦反省」という投稿はこんな調子だ。
〈日本は神国であること今さらいふまでもない。しかるに一部新しがり屋の西洋かぶれした人たちが、むやみやたらに西暦をふりまはしてゐるのは、全く不愉快至極である。(中略)一部のインテリとか学生とかの間には西暦使用の観念が、根強く残つてゐる〉なんて怒りを綴り、新年のカレンダーに西暦を使用している国策会社を糾弾する。
太平洋戦争の真っ只中とはいえ、これも紛れもなく朝日新聞の紙面である。
同じく、「競走馬の外国名」(42年5月1日付夕刊)という投書では、戦時下の競馬場に多くの見物人がおり、馬券の売り上げも多いことに驚いた上で、〈それよりも出場馬の名前には一層驚いた。ゼバラツケン、ライアンスモーア、スターサイレーン等々、しかも、これらの馬が出場するのは米英の競馬場ではない〉と言い、もっと日本的な勇ましい馬名をつけるべきだと主張する。
その矛先は若者たちの在り様にも及ぶ。
「敵国語襟章と学生」(42年6月12日付夕刊)では、東大などの制服に苦言を呈している。当時の学生は、法学部が「J」、工学部は「L」など、各々がアルファベットの襟章をつけていたが、投稿者は、〈たとひ米英がわが盟邦であつたとしても国辱ものであるのに〉と憂えた上で、〈学校当局の米英追随思想にも呆れる(中略)。これが、米英相手に血みどろに戦つてゐる国の学生気質なのであらうか〉と嘆くのだ。
実際、戦時下での野球では、「ストライク」が「ヨシ」、「ボール」が「ダメ」と改称させられるなど、日常的に親しまれていた言葉が敵性語のレッテルを貼られた。
なんだか息の詰まる話ばかりだが、それらを朝日新聞が繰り返し掲載して戦意高揚に一役買っていたとなれば、今の読者に知られたくないのも頷ける。
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「朝日新聞」がひた隠しにした戦時中の「声」(下)へつづく
特集「『声』欄100周年でも『朝日新聞』がひた隠しにした戦時中の『声』」より
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