「震災何年目」で区切ることの愚かしさ
東日本大震災から6年が経とうとしている。
あの日、岩手県釜石市の「遺体安置所」には大勢の人々が集まった。人口およそ4万人の三陸の港町を襲った津波は、死者と行方不明者、合わせて1145人もの犠牲を出した。廃校になった学校などいくつかの施設が「遺体安置所」となり、瞬く間に未曾有の数の「遺体」が各施設を埋めていった。警察官、市役所員、医師、消防団員、葬儀会社社員、民生委員……その中には、地元のお寺、仙寿院の芝崎惠應住職の姿もあった。
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その様子を取材し、『遺体 震災、津波の果てに』で伝えた石井光太は言う。
「ご住職は遺体安置所ばかりでなく、火葬場での読経を何度も自発的に行い、鎮魂につとめていらした。痛ましいことに、時間が経っても行方がまだ不明な方がほんとうに多い。逆に、身元を確認できないご遺骨もある。芝崎さんは、そういったご遺骨などを引き取り、犠牲者の供養を行ってきたそうです。」
釜石市の被災した街並みを一望できる丘の上にたつ仙寿院。この寺の本堂の裏には、身元不明の遺骨が9体、いまだに保管されている。9体の内の3体は、部分遺骨だ。
住職は言う。
「住民の中には祈祷を依頼してくる人が後を絶ちません。依頼者の中には祈祷を除霊と勘違いしている人がいます。私は言うんです。
『祈祷しても霊を鎮めたり、祓ったりできるわけじゃないんですよ。心を切り替え、前向きに生きていくためのきっかけづくりなんです』と。人は前に向かって歩いている時は、過去に亡くなった人のことを気にかけずに済みます。助けられなかったとか、なんで先に逝ってしまったのかだとか悩むことが減る。祈祷というのは、そのためのものなんです。でも、前進しているように見えても、心は過去にとらわれている方も大勢いいます。特に行方不明者のご遺族はそれが顕著で、ふとしたことで故人を思い出す」。
大震災から6年間、その間にも何度か訪れていた石井は、釜石の今を知りたいと考え、再び取材に来た。祈ることの意味や、悲しみが時間によって癒せるかについても考えさせられたという。
「6年という数字は遺族には十分な時間ではなかったようです。いや、『十分』ということはこれから先もないのだと思います。
ずっとご遺族に寄り添ってきたご住職に、今回は話を聞き、6年目を目前にし、彼の口から『悲しみが薄れることはない』と聞いた時、まさにそうなのだと思いました。
ご遺族は、悲しみを薄めるのではなく、悲しみを背負う方法をどうにか見つけて歩き始めている。悲しみの重さは何一つ変わっていない。
それが6年目の今だと思いましたし、だからこそ6年目という形でまとめてしまうことの愚かさも自覚したところです」。
市内の犠牲者のうち、152人が行方不明のままだ。
* * *
釜石の人々の思いは月刊誌『新潮45』にて「大震災、五年後の被災者たち」(2017年2月号)、「東日本大震災拾遺 遺体なき遺族たちの時間」(2017年3月号)に詳述されています。
また、石井さんと取材チームは、現場の空気を伝えるために360度カメラを駆使し、仙寿院の身元不明のご遺骨安置所を撮影しました。映像の最後に、釜石市内の仮設住宅地も紹介している。釜石の今をぜひご覧ください。
最後に、ご協力いただいた、芝崎惠應住職と、市内を案内くださった千葉淳さんに感謝いたします。また、動画の編集は佐藤洋輔さんのボランティアによるものであることを付記しておきます。
【動画】https://youtu.be/O35p54q7C1o