綱取りより難しい「稀勢の里」の嫁取り 初恋は幼稚園の先生
部屋に大量の風俗店の名刺
初土俵は2002年の3月場所。
「十両昇進は04年の5月場所、彼が17歳と9カ月の時で、これは貴乃花親方に次いで2番目に早い。入幕を果たしたのは18歳3カ月の時で、これも貴乃花に次ぐ2番目の記録です」
と、さる相撲ジャーナリストは言う。
「彼が新入幕を果たして3〜4場所くらいがたった頃、北の湖さんがこう言っていたのを憶えています。“稀勢の里の素質は自分と同じくらい、あるいは自分より上かもしれない。21、22歳の時には綱を張っているだろう”と。北の湖さんが横綱になったのは21歳と2カ月の時。その彼が、自分と同じかそれより上のレベルだと言うくらい、将来を有望視されていた」
しかし、実際には25歳で何とか大関に昇進。そして今回、30歳にしてようやく横綱となったわけである。
「時間がかかった理由の1つが、足が長くて腰高だという彼の欠点。本来であれば、師匠である鳴戸親方が腰の割り方を教えて、重心が低くなるよう矯正しなければなりません。腰を割ることは、相撲において基本中の基本です。しかし鳴戸親方は、それよりも自分の相撲を教え込むことを優先したのです」(同)
スポーツ紙のベテラン記者によると、鳴戸親方は稽古だけではなく、弟子の私生活にも厳しかったといい、
「きちんとした交際であっても基本的に現役時代の結婚はダメ。交際相手との結婚を考えていた有望力士が親方に相談したところ猛反対され、それに反発して廃業してしまう、という騒動が起こったこともある」
15年、東日本大震災からの復興を祈願した「復興祈願土俵入り」の際に行われたトークショーで、結婚を迫られた経験があるか、と問われた稀勢の里は次のように答えている。
「何度かありますね。でも僕には相撲が第一だったので」
それが事実だとすればなかなかのモテっぷりだが、
「記憶している限り、彼女や恋人について、稀勢の里関と話をしたことはありませんね……」
と、旧鳴戸部屋の関係者は首を傾げるのだ。
「彼が21歳か22歳頃のこと、すでに彼は関取になっていたので個室が与えられていたのですが、その部屋に入った時、風俗店のものと思われる名刺が20枚くらい床に無造作に置かれていたのを憶えています。風俗店には兄弟子と行っていたようで、夜、連れだって出かけることも多かった。また、本棚にはアダルトDVDが少なくとも数十枚は収納されていた。蒼井そらというAV女優の作品が何枚かありましたね」
先の相撲ジャーナリストが言う。
「力士は早婚か晩婚が良い、とされている。早婚が良いのは、悪い遊びに走らないように妻が見張っているので、相撲に集中できるから。稀勢の里はもう30を過ぎており、もう年寄株も取得している。引退が近づいてきた頃に、女将さんに相応しい人を探すというやり方で良い」
稀な勢いで駆け上がる。四股名にはそんな意味が込められているが、横綱の座に辿りつくまでには思いのほか時間がかかった。嫁取りに関しても、勢いに任せた一気の寄りではなく、じっくり攻めるのが吉か――。
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