サスケが語った成宮寛貴への怒り 「薬物の話をゲイの話にすり替えた」

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成宮寛貴氏

 中学時代から天下のゲイタウン新宿2丁目に出入りし、「2丁目は大事な経験」と堂々と雑誌に語っていた元俳優・成宮寛貴氏(34)。だが、コカイン疑惑報道の第2弾直前に彼が残した“芸能界引退宣言”は、薬物疑惑には触れず、“絶対知られたくないセクシャリティ”を理由に挙げた。そこに怒りを隠せぬ父親がいる。

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 トップモデルを夢見、世界の華やかな舞台を垣間見た17歳の美しい少年――その父親が、息子の口から、ある男に夢を手折られたのだと聞けばどう思うだろう。

 父親の名はザ・グレート・サスケ。みちのくプロレスに所属する覆面レスラー、元岩手県議会議員である。

 12月11日、サスケ氏のブログに掲載された、「引退する成宮さんへ」と題する一文が波紋を呼んだ。

〈その幕の引き方じゃぁ我々家族は逆に許しませんよ。10年程前に愚息があなたから受けたハラスメントが真実だったって認める事になっちゃうじゃないですか?(後略)〉

 またたく間にネットに拡散したこの投稿。サスケ氏本人が本誌(「週刊新潮」)にぽつりぽつりと重い口を開いた。

「私のこの10年間の気持ちはどうなるの?という思いでブログを書いたんです。私は息子が傷ついたことについては泣き寝入りして、ずっと蓋をしてきた。それなのに成宮さんは、あんな“引退宣言”で幕を引こうとした。それが許せなかったんです」

■「1億円で寝てくれ」

 サスケ氏の息子は本人の希望で15歳で上京、オスカープロモーションに所属し、父サスケ氏の名は伏せてモデル活動を行っていた。今やルイ・ヴィトンのデザイナーとなったキム・ジョーンズに目をかけられ、専属モデルとして華々しくパリコレデビュー。ファッション誌の表紙を飾るなど、キャリアは順風満帆だった。

「ところが17歳になって、仕事に穴をあけるようになった。事務所からもお叱りを受けたので本人に聞いたところ、成宮さんから“1億円で寝てくれ”と言われたというんです。かなり強引に迫られた、と。実際に何があったかは言いません。でも、成宮さんの話が出ると泣き出し、常に怯えている様子で、普通じゃない。何かを思い出すと、“痛い、痛い”とお尻をかばう。私に対しても、男性だということからか、恐怖心を抱かれた瞬間がありました。幼い頃は、いつも怪我だらけだったレスラーの私のために、医者になりたい、と言ってくれていた天使のような子がですよ」

 何もなかったとは思えない、としながら、冷静に語るサスケ氏の声が震える。

「息子はPTSDと診断されました。10年以上経った28歳の今も心療内科に通院し、半年に一度は入院治療です。外出もままならず、彼には今、夢も希望もない。それでも私は、陰ながら成宮さんを応援していた。息子は業界で負けてしまったが、それは息子が弱かったからだ、と自分を納得させてきたのです。後悔はありますが、その分、成宮さんが活躍してくれれば、息子の苦しみも無駄ではない、と思えた。それなのに、成宮さんは薬物の話をゲイの話にすり替えた。私たち家族にしてみれば、息子へのセクハラを10年以上経って認めた形になるんです」

 成宮氏の薬物疑惑には、当局も「もちろん関心を持っている」(捜査関係者)という。それを怖れてか東南アジアとも欧州とも言われる異郷に姿を晦(くらま)した成宮氏。

 サスケ氏の声が届く日は来るのだろうか。

ワイド特集「年忘れの備忘録」より

週刊新潮 2016年12月22日号掲載

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