ドイツ・メルケル首相、喝采から1年で窮地に…「人道主義」難民政策でのヤケド

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■人道主義でヤケドしたドイツ 「メルケル首相」の暗いクリスマス(1)

 
 難民の無制限受け入れを呼びかけ喝采を浴びたドイツのメルケル首相が窮地に陥っている。「無制限の善意」を警戒するEU国が反発し、難民政策に異を唱える保守政党が彼女の足元を脅かしているのだ。ドイツ在住の作家・川口マーン惠美氏がレポートする。

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ドイツのメルケル首相

「ドイツ人は、もっとクリスマスソングを歌おう。縦笛を吹ける人に伴奏して貰えば良い」

 10月22日、CDU(キリスト教民主同盟)の臨時党大会での、メルケル首相のスピーチの一節だ。キリスト教国ドイツの国民が、イスラム系難民の増大から来る不安を解消するための提案だとか……。

 ドイツで「縦笛」というと、子供のピーピー鳴らす雑音といった感が強い。そのためこれはメルケル首相の下手な冗談と解釈され、居並ぶ政治家たちのあいだで失笑が漏れた。ところが、その笑いを打ち消すように、氏は真面目な顔で続けた。

「私は本気です! そうしなければ、ふるさとが失われてしまう!」 

 これには海千山千の政治家たちも一瞬、凍り付いてしまった。

 現在、EUで深刻な問題となっているのが、怒涛のように流れ込んでいる難民である。その原因が、メルケル氏の「難民ようこそ政策」であると思っている人はすでに多い。ドイツ国内でもそのせいでCDUの人気はガタッと落ち、右派の新政党が台頭してきた。

 ドイツでは、来年秋に総選挙があるため、切羽詰まったCDUは必死で打開策を検討中だ。ところがその渦中で、メルケル氏のまさかの「縦笛」発言。皆が唖然としたのも無理はない。この現実認識の甘さを、フランス革命時のマリー・アントワネット王妃の言葉、「パンがないならお菓子を食べれば?」に喩えたジャーナリストもいた。

 ただ、わずか1年前、ドイツ国民はメルケル氏の難民政策を絶賛していたのだ。その栄えある政策が、なぜ今、時限爆弾のようになってしまったのか。その経過を簡単に見たい。

■体力とお金のある難民

 難民ルートは主に2つある。地中海ルートとバルカンルートだ。地中海ルートでは、いわゆる「運び屋」が、難民をボロ船に乗せてチュニジア、あるいはリビアなどから送り出す。救助されることを前提とした無責任な商売で、もちろん船はしょっちゅう沈む。イタリア軍は、数年来、地中海で遭難者の救助ばかりしている。運良く沈まなかった難民は、EUの海の外壁であるイタリアやギリシャに流れ着く。

 一方、バルカンルートでは、中東難民はEUの陸の外壁ハンガリーに溜まった。難民は、やはり「運び屋」の斡旋でトルコからまずギリシャの島に渡る(シリアともイラクとも国境を接するトルコは中東難民のハブ地だ)。トルコから目標とするギリシャの島々は近いため、地中海ルートより危険も少ない。難民はそこからフェリーでギリシャ本土に渡り、バルカン半島を陸路北上。どちらのルートの場合も、最終目的地はたいていドイツ、オーストリア、スウェーデンなどである。

 難民の陰には常に「運び屋」の存在がある。難民は今、国際犯罪組織にとって売春や麻薬よりも儲かる一大ビジネスだ。言い換えれば、私たちが見ているのはEUまで来られる体力とお金のある難民で、それ以外はレバノンやヨルダンなど周辺国へ逃げのび、砂漠に設営された粗末な難民テントで忘れられている。国連の援助も極端に滞っている。

■「難民ようこそ政策」

 さて、では体力とお金のある難民が、なぜイタリアやハンガリーに留まっているかといえば、EUのダブリン協定のせいだ。難民は最初に入った国で申請をし、審査終了までその国で保護されると定められている。つまり、EU国は入って来た難民を素通りさせることができないのだ(※ギリシャはさせていたが)。

 そのためハンガリーでは、去年の夏、難民の数が人口比でEU最多となり(1000人当たり17・7人)、混乱が広がっていた。その惨状を見かねたメルケル首相が、9月4日、独断で受け入れを決めた。ダブリン協定を無視した超法規的措置、いわゆる「難民ようこそ政策」の始まりである。

 これにより、ドイツを目指す難民の数は膨れ上がり、たちまち民族大移動のようになった。それを見た多くのEU国は難民の自国への流入を恐れ、シェンゲン協定を無視して次々と国境を閉じ始めた。しかしメディアは、メルケル氏の決断を人道的であるとして手放しで賞賛し続けた。彼女をマザー・テレサに喩えた報道もあったほどだ。

 当時、ドイツ国民も、難民援助に懸命だった。多くの人々がミュンヘン中央駅に赴き、ハンガリーから到着した難民を迎えた。難民が振り分けられた各地の宿舎には、軍や警察だけでなく、大勢のボランティアも駆けつけた。古着も集められた。皆が3交代で働き、ドイツはあっという間に善人ではち切れそうになった。

■「そんな国は私の国ではない」

 ただ、何千、何万もの言葉の通じない人々を相手に、各自治体は未曾有の混乱に陥った。自ずと、難民の身元の確認は疎かになった。登録をせずに消えてしまった難民もいた。最近になって、ドイツでの去年1年の難民申請者数は89万人と発表されたが、本当の数は永遠に不明だろう。自国に、誰が何人入国したかが把握できないというのは、本来ならば由々しき事態である。その頃、「難民の数の上限を決め、秩序だった受け入れをはかるべきだ」という声もあった。

 難民の中には、コソボ、アルバニア、モロッコなどからの経済難民、あるいは犯罪グループもたくさん混じっていた。またイスラムのテロリストが難民を装って入り込む可能性も懸念された(※その懸念は、130人の犠牲者を出したパリのテロで現実となった)。

 ところが、それらの声は反人道的であるとして切り捨てられた。「難民を十把一絡げに犯罪者扱いするのはけしからん!」。そこに持ってきてメルケル氏が、「上限を決めたら、それを超えた1人目は追い返すのか? そんな国は私の国ではない」と豪語した。“世界で一番影響力のある女性(フォーブス誌)”がそう言ったのだ。もう、逆らえる者はいなかった。

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 人道主義でヤケドしたドイツ 「メルケル首相」の暗いクリスマス(2)へつづく

特別読物「人道主義でヤケドしたドイツ『メルケル首相』の暗いクリスマス」――川口マーン惠美(作家)より

川口マーン惠美(かわぐちマーンえみ)
大阪生まれ。シュトゥットガルト国立音楽大学大学院卒、拓大日本文化研究所客員教授。著書に『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』ほか多数

週刊新潮 2016年12月15日号掲載

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