ハーバードも巻き込んだ“隠れトランプ”旋風 大きく「右」に舵を切る米国

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 米大統領選に世紀の番狂わせをもたらした“隠れトランプ”旋風。白人の低所得層に留まらず、ハーバード大学まで巻き込んだこの現象の実態を、弁護士の山口真由氏は選挙直前にリポートしていた。アメリカが誇る秀才たちはなぜトランプに一票を投じたのか。

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 ドナルド・トランプが大統領選で当選を果たしたことで、ハーバード大学は絶望の底に沈んでいる。

「建前」と「神話」を壊した男

「選挙結果を受けて、この国の行方について議論するグループが作られました。学生たちは徹夜で議論し、憔悴し切った表情で朝を迎えました」(ハーバード学生)

「トランプ当選が報じられた直後から、パニック障害を起こしたイスラム系の学生や、自殺願望に囚われる学生が続出。クリニックは大忙しでした」(ハーバード大学医学部精神科助教授・内田舞氏)

 昨年の夏から1年間、私はハーバード大学の法科大学院(ロースクール)に留学していた。当時の経験をもとに前回の記事(小誌「週刊新潮」11月10日号掲載)では、ハーバード内の「隠れトランプ」の実態を紹介した。

 だが、私はトランプ旋風の勢いを見誤っていた。私だけではなく、アメリカのメディアもヒラリーの勝利を楽観していた。では、なぜ誰も予測しなかった結果がもたらされたのか。

 その答えは、やはり「隠れトランプ」の存在にある。

 目下、アメリカから届くのは反トランプデモなどの沈痛な叫びばかり。反面、トランプに投票した半数近い米国民の勝利の雄叫びは、不思議なほど聞こえてこない。実は、これこそが隠れトランプ旋風のカラクリだ。

 ハーバードを卒業し、ニューヨークで働く弁護士はこう明かす。

「選挙前に事務所の弁護士たちは声高にクリントン支持を表明しました。ただ、物言わぬ白人秘書たちは、その全員がトランプに投票していたのです」

 トランプ支持者が沈黙した理由を知るためのカギとなるのは、アメリカにおいて最も重要な建前「ポリティカル・コレクトネス」だ。直訳すると「政治的公正さ」、すべてのマイノリティを差別しないことを指す。

 現在、アメリカ社会はこの建前を徹底するあまり、極端に閉塞した状況に陥っている。男性上司が女子社員に「君は女子力がないね」などと軽口を叩くだけで、アメリカでは解雇に繋がりかねない。 

 それは世界中の秀才が集うリベラルの牙城・ハーバード大学でも同じだ。

 ハーバード在学中、私はこんな場面に出くわしたことがある。人種差別に抗議する黒人学生が授業をジャックしたところ、白人教授は「私に反論する資格はない」と白旗を揚げたのだ。下手に反論して人種差別主義者のレッテルを貼られることを恐れたのだろう。

 アメリカにおいて「差別主義者」は、戦前の日本における「非国民」のレッテルと同義。女性蔑視を理由にハーバード学長の地位を追われたローレンス・サマーズのように、それだけで社会的地位を失いかねない。

 その点、トランプはポリティカル・コレクトネスに真っ向から挑戦した存在だった。行き過ぎた建前に疲弊し切った白人層は、心の中でトランプの言動に快哉を叫んだのかもしれない。だが、それを口にして「差別主義者」のレッテルを貼られることは憚られる。これが、トランプ支持層が沈黙した理由である。

 選挙後の調査によって、白人低所得層のほか、中間層から高所得層の白人までもが、トランプに投票していたことが明らかになった。南部の粗野な白人男性たちだけでなく、ハーバードの学生をはじめ、社会的地位のある白人層のなかにこそ、実は「隠れトランプ」支持者は広がっていたのだ。

■「コンサバの申し子」

 ポリティカル・コレクトネスが最も重要な建前なのは、アメリカが実は差別の国であり、国をひとつにするための「神話」が必要だからに他ならない。

 あるハーバードの教授は、

「黒人を奴隷にするという“原罪”を抱えた我々は、人種・性別間の平等というポリティカル・コレクトネスを信じ、差別を乗り越える努力を続けてきた」

 と、その神話の意義を力強く説いていた。

 だが、黒人とフランクに語り合うハーバードの白人女子学生は、酔った勢いでこう呟くのだ。

「私が黒人と話すのはアファーマティブアクション(差別の是正措置)なの」

 心のなかでは白人が最も優秀だと信じる――。アメリカという「自由の国」は、その裏に差別主義の闇を抱えているのである。

 では、「神話」と「建前」を打ち破り、ついに大統領の座に登りつめたトランプはこの国をどこに導くのか。

 まず、今後のアメリカが大きく「右」に舵を切るのは間違いない。大統領は共和党選出のトランプ、上下両院も共和党議員が過半数を占め、連邦最高裁もコンサバ(保守系)優位となる。

 アメリカの最高裁判事の定員は9人。現在、共和党が任命したコンサバ系判事が4人、民主党のリベラル系判事が4人で勢力伯仲の状態だ。勝負を分けるのは残された1つの空席だが、その指名権を持つのは次期大統領・トランプである。欠員が保守系で埋まるのは間違いない。

 また、最高裁判事の任期はその生涯に亘るが、現判事のなかで高齢の3人は思想的にリベラルから中道。特に、最高齢・83歳のルース・ギンズバーグは、超左派のフェミニストな上、トランプが大嫌いだ。

 だが、トランプの任期中に「もしも」のことがあれば、彼女らの席にはコンサバの判事が座ることになる。

 同性婚・人種差別・女性の権利について、歴史的なリベラル判決を出してきたアメリカの最高裁は、マイノリティの人権を守る最後の砦である。しかし、コンサバ優位となれば過去のリベラル判決を次々に覆す可能性がある。事実、トランプもそれを示唆している。

 そんなアメリカにあって唯一の不確定要素は、実はトランプ自身だ。長らくリベラル寄りで、イデオロギー的な核がないとされるトランプを、共和党のエスタブリッシュメント層は信念あるコンサバと見做していない。彼らが希望を託すのは副大統領となるマイク・ペンスである。敬虔なキリスト教徒であり、経済、国防など全ての政策面で保守派の王道を行くペンスは「コンサバの申し子」。トランプが問題を起こして弾劾されれば彼が大統領に繰り上がり、アメリカ史上最もコンサバな時代が到来する。

 まさにハーバードの「隠れトランプ」が望んだ結末だろう。ハーバードで勤務し、共和党系学生の動向をつぶさに見てきた先の内田舞氏は、こう指摘する。

「共和党支持の学生は“最高裁に保守系判事を誕生させる”ため、熱烈なキリスト教徒の学生は“ペンスを大統領にする”ため、トランプに票を投じたのです」

 ハーバード在学中、校舎の廊下に並んだ教授陣の写真のうち、黒人教授だけ目の上にテープを貼られるヘイトクライムが起きた。

 だが翌日、ハーバードの学生たちはその黒人教授の写真に、思い思いのポストイットを貼った。「我々の誇り」「偉大な先生」。そのメッセージを読みながら、私はアメリカの闇と光の両方を目にしたように感じた。

 差別を抱えながら、それをなくすための努力を続けてきたアメリカ。再び希望の灯はともるのだろうか。

特別読物「秀才揃い『ハーバード大学』にもごまんと『隠れトランプ』――山口真由」より

山口真由(やまぐち・まゆ)
1983年生まれ。東京大学法学部在学中に司法試験と国家公務員Ⅰ種に合格。首席卒業し、財務官僚を経て2015年夏からハーバード大学ロースクールに留学し、2016年8月に帰国。著書に『いいエリート、わるいエリート』など。

週刊新潮 2016年11月24日号掲載

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