日銀・黒田総裁、“年2%”先送りの「敗北宣言」 シナリオはなぜ崩れたのか
デイヴィッド・ハルバースタムの『ベスト&ブライテスト』は、米国の指導者たちが、いかにしてベトナム戦争の泥沼に引きずり込まれたかを描いた名著だ。聡明なはずの人々が、判断を誤り、一国を窮地に陥れることもあるのだとすれば、黒田東彦・日銀総裁(72)の金融政策は後世にどう評価されるのだろうか。
金融の世界において「本石(ほんごく)町」といえば、東京・日本橋本石町にそびえ立つ日本銀行本店のことを指す。わが国の金融政策を決める「金融政策決定会合」は、年8回、その新館8階にある政策委員会室で開かれる。
テレビなどでは、大きな円卓を囲んで総裁、副総裁ら9人の委員が座っている様子が映されるが、実際にそこにいるのは彼らだけではない。
元日銀副総裁の藤原作弥氏によると、
「政策委員会室には日銀内の各部署から担当理事、審議役、局長、課長クラスまで数十人の幹部が集められます。彼らは円卓の前に置かれた椅子にずらりと座り、メモを取る。壁には、株価や為替相場を示すボードが掛かっており、リアルタイムでマーケットをにらみながら議論するようになっています」
その部屋の主である黒田総裁もまた、我が国のベスト&ブライテストである。だが、11月1日に開かれた金融政策決定会合は、彼の「敗北宣言」の舞台となってしまった。
この日、黒田総裁は年2%のインフレ目標を2017年度中から「18年度ごろまで(つまり、19年3月まで)」と先送りを発表したのだ。総裁任期は18年4月までだから、自分の在任中の達成は不可能と“白旗”を揚げたことになる。
■ジャブジャブ金融
振り返れば、黒田氏が白川方明前総裁の慎重路線を否定する格好で日銀総裁に就任したのは13年3月のこと。安倍政権が打ち出した「アベノミクス」を体現するべく、翌4月に大規模な金融緩和策(黒田バズーカ)を発表し、世界中をあっと驚かせた。それは、毎年50兆円のペースで国債を買い上げ、また、それぞれ1兆円、300億円ずつETF(上場投信)やJリート(不動産投信)を買い集めるという大胆なものだった。
「まさにジャブジャブ金融です。これによって、市中にお金を溢れさせ、企業が借りやすくする。また、通貨の価値を下げることで、円高の是正と物価の上昇をうながすのが狙いでした。物価が上がれば企業の収益が改善し、それにつられて給与も上昇する。それがまた、国民の消費を刺激するというシナリオの、壮大な“実験”だったのです」(経済部記者)
その結果、確かに1ドル70円台まで突き進んでいた「円」は、急激に円安に振れる。一時は120円を突破し、輸出産業は息を吹き返したかに見えた。株価も2万円をつけるまで上昇したのは、黒田総裁の手腕といえる。
ところが、「黒田バズーカ」の主目標である物価は思惑通りにならなかった。14年こそ、消費税増税前の駆け込み需要で2%を超えたものの、15年は逆に1%を割り込んでしまう。
その間、日銀は4度にわたる「追加緩和」を打ち出し、国債の買入額を年80兆円、ETFの購入額も年6兆円にまで膨張させる。また、今年1月には、史上初のマイナス金利まで導入し、資金を寝かせている金融機関の尻を叩いた。
だが、蓋を開けてみれば、今年度の物価上昇率はマイナス0・1%(見込み)という体たらく。世間を見渡せば、相変わらず100円ショップばかりが流行り、サラリーマンは一杯380円の牛丼で昼飯を済ませている。名目賃金はわずかしか上がっていない。
会合が終わって会見場に姿を見せた黒田総裁は、失敗の理由を聞かれて、淡々と、「原油安や新興国経済の減速」と説明したが、責任を問われると「自分の任期と物価は関係ない」と逃げの一手。
それにしても、黒田総裁のシナリオはなぜ崩れてしまったのだろう。
■「ブタ積み」
元大蔵官僚で法政大学教授の小黒一正氏が言う。
「黒田さんが年2%の物価目標を掲げたのは“物価が上がると景気が良くなる”と信じていたからでしょう。しかし、インフレ率(生鮮食品を除く)が2%を超えたのは、最近でも89年の消費税導入の時と、湾岸戦争で原油が高騰した時ぐらい。よほどのことがない限り達成できる水準ではなかったのです」
そもそも、日銀が白川前総裁時代から頭を悩ませていたのは、日銀がいくら働きかけても金融機関が企業に金を貸そうとしないことだった。銀行は、日銀から資金を預かっても、引き出さずに日銀の当座預金に置いたまま。金融界では、これを「ブタ積み」と呼ぶ。
「そこで黒田さんが考えたのは“日銀がどんどん銀行から国債を購入し、これまで以上に大量に資金供給を行えば、おカネが余った銀行は、仕方なくどこかの企業に貸し出すはずだ”というものでした。でも、白川総裁の時代にも量的緩和はやっていて、そのようなメカニズムは働かず、インフレを引き起こす効果は限定的と分かっていた。ところが、黒田さんはそれを“異次元”と称して大規模にやってみた。その結果、やっぱり効果はないとハッキリしたというわけです」(同)
たしかに黒田総裁の金融緩和によって日銀から銀行に流れる資金は増えた。ところが、その金はまたもや「ブタ積み」され、当座預金が増えただけだった。貸し出す先がなかったのである。
■分かりやすいパフォーマンス
元日銀金融研究所長で千葉商科大学大学院名誉アドバイザーの三宅純一氏も言う。
「そもそもインフレターゲットというのは、高くなったインフレ率を押し下げるためにある理論なのです。それにもかかわらず、黒田総裁は“押し上げる”と宣言してしまった。よせばいいのに“資金供給を2年で2倍に。そして物価上昇率を2%にする”と『2』という数字を並べてキャッチフレーズにした。前総裁の白川さんへの対抗意識から、分かりやすいパフォーマンスをしようと思ったのでしょう。金融政策を担うものとしては、非常にポピュリズム的であり、この時点で、雲行きが怪しいと思っていました」
高すぎる目標と、実証されていない理論、そして行き過ぎたパフォーマンスに、現実がついてこなかったというわけである。
特集「あの強弁をやめたら全国民が不安になった!『黒田総裁』白旗で『日本銀行』と『日本財政』の漂流先」よりより