「べっぴんさん」芳根京子 訪問介護の現場で働く父の波乱万丈

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 女優にとって、様々な経験を積むことは、演技の幅を広げるうえで必要不可欠だ。デビュー前に難病を患った彼女は、それだけでも、同年代のライバルに比べて、引き出しの数では一歩先を行くわけだが……。

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芳根京子(本人のアメブロより)

 10月開始のNHK連続テレビ小説「べっぴんさん」。商家に生まれ順風満帆だった主人公が、戦災ですべてを失いつつも、子供服メーカーを築くという、「ファミリア」創業者をモデルに描いたドラマで、ヒロイン役に抜擢されたのが、芳根(よしね)京子(19)だ。2013年にデビューし、翌年、端役ながら「花子とアン」に出演、若手注目株の1人である。

 芸能記者によれば、

「配役発表の記者会見で、彼女は中学2年の時に、体に力が入らなくなる難病のギランバレー症候群に罹り、1年間、学校に通えなかったと明かしました。経験の浅い芳根を起用した理由は、心に芯がある点がドラマのヒロインと被るらしく、制作側が惚れ込んだのです」

 多感な時期の闘病生活が、多大な影響を与えたのは想像に難くないが、それも今となっては、芸の肥やし。もっとも、引き出しの数を増やしたのは、そのことだけではなかった。実は、身近な家族の1人が波乱万丈な人生を送っていたのだ。

 芳根の父親・聡さん(56)は、かつて広告の世界で成功を収めたクリエーター。92年に「スーパータンク」という会社を興し、JR東日本や日経新聞などの広告やイベントを手掛けたほか、BS放送の番組制作も行うなど、ピーク時は年商2億円を稼ぐまでになっていた。

■パンを齧る日々

 ところが、山があれば谷もある。06年1月、生活が一変する事態が起きたのだった。その頃、ホリエモン率いるライブドアと共同で広告事業を行っていたが、ライブドアに証券取引法違反が発覚したため、スーパータンクも経営が傾いてしまった。当時、9歳になる京子の他に母親と妻、京子の5歳年上の長男たちを養わなくてはならなかったが、

「金がなくなり、パンを齧る日々で、家族に苦労を掛けていると泣いていました」

 と言うのは、騒動の翌年、スーパータンクに手を差し伸べた株式会社オーエスの奥村正之社長だ。

「彼は中途採用の求人広告を見て、面接に来ました。ウチは映像プロジェクターやスクリーンを作るハードウェア会社です。畑が違いましたが、我々も新たな分野を開拓したかったので、スーパータンクを子会社にし、再建することにしたのです。最終的に2000万円ほど出資しました」

 しかし、ある時、奥村社長が新企画を提案すると逆ギレしてしまったという。

「彼から“あなたはこの分野に関しては素人。口を出すな”と言われ、挙句、辞表を持ってきて、1年余りで辞めてしまいました」(同)

 さらに、芳根家に追い打ちをかけるように、長男が不登校になると、父親は世間から遠ざかるように、一家の北海道移住を一人で勝手に計画し、下見を兼ねて単身、アイヌの里を訪問。数カ月間、住み込みで農作業を手伝ったり、東京に舞い戻っては、郵便局で配達スタッフとして働いたり……。現在、訪問介護の現場で働きながら、糊口を凌ぐ父親に話を聞くと、

「誰しも波があるなかで、見失ったものに出会うタイミングというのがあるんじゃないですかね」

 仕事に感(かま)けて、忘れていた本来の姿を取り戻したかったということか。その真意はともかく、ドラマのような世界を間近で見せられていた娘にすれば、これもまた、箪笥1棹分ほどの引き出しとなったに違いない。

特大ワイド「ふりむけば百鬼夜行」より

週刊新潮 2016年11月10日神帰月増大号掲載

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