世界記憶遺産に申請、杉原千畝「命のビザ」手記に改竄疑惑 四男が語る

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 たった一人の外交官が記した“文字”が、数千人の命を救った――。「命のビザ」で知られる杉原千畝(ちうね)。先の大戦で、ナチスの迫害から逃れるユダヤ人を救った功績は広く知られる。その日本が誇る史実が「世界記憶遺産」に登録されるにあたり、申請文書に疑いの声をあげる遺族が現れた。

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杉原千畝(出典:Wikimedia Commons)

「このままでは、天国にいる父も喜ばないと思い、告発することにしました」

 と話すのは、千畝の四男である伸生(のぶき)氏(67)だ。

 生前、千畝は4人の息子に恵まれたが、存命なのは彼1人。現在ベルギーで会社経営に携わる伸生氏は、世界各地のユダヤ人団体から招聘を受け、亡き父の顕彰式典や講演会に出席して、多忙な日々を送っている。

 発端は今年5月末、「千畝生誕の地」として町おこしを進める岐阜県八百津(やおつ)町が日本政府を通じて、千畝が書いた「命のビザ」47点と手記2点を含む66点の文書記録を、世界記憶遺産へ申請したことに始まる。

 これら文書は、パリのユネスコ本部の審査を経て、来年夏に登録される見通しだが、先の伸生氏はこう“疑惑”を訴えるのだ。

「申請された手記や、下書きとされる原稿は明らかに父の字ではない。手記には父の生まれが岐阜県加茂郡八百津町とありますが、戸籍を見ればそこは本籍地であって、出生地は岐阜県武儀(むぎ)郡上有知(こうずち)町、今の美濃市となっている。千畝の父はこの地に住み税務署に勤めていました。生誕地を八百津町にしたい誰かの手で、手記が改竄されたのです」

 事を憂慮した伸生氏は、文科省日本ユネスコ国内委員会や、実際の申請者である岐阜県八百津町長宛に、事実確認を求めて質問状を度々送った。が、遺族の再三の訴えにもかかわらず、再調査の約束など納得できる返事はなかったという。

■中国も黙っていない

 実は、記憶遺産にかかわる杉原家の遺族は他にもいる。件の手記の所有者で千畝の長男の妻である杉原美智氏(78)と、その長男・千弘氏(52)、長女・まどか氏(50)だ。3人はNPO「杉原千畝命のビザ」幹部として、杉原千畝記念館を運営する八百津町と、遺産登録に向けて奔走していた。

 小誌(「週刊新潮」)取材に八百津町も、

「出生地に関しては、杉原美智、千弘、まどか氏の証言に基づいております」

 と、繰り返すのみである。

 そんな彼らを相手に、伸生氏は手記を含む千畝の遺産相続の正当性を巡り、東京地裁で係争中だ。判決は11月17日に出る予定で、伸生氏はこの手に手記を取り戻して、事の真偽をハッキリさせたいという。

 当のNPOで副理事長を務める千畝の孫のまどか氏の言い分は、

「叔父の訴えには困惑するばかりです。そもそも、千畝の妻で私の祖母・幸子も八百津生まれと言っていたし、手記も間違いなく千畝本人が書いていたのを見ています。戸籍に異なる出生地が記載されていたのは、千畝の父がおっちょこちょいな人だったからだと祖母から聞きました。明治の頃は、実際と違う場所を出生地として書くなんて話はよくあったそうですから」

 税務官吏だった千畝の父が、わざわざ実際に生まれた所と異なる届けをしたとは俄かには信じ難いが、伸生氏はこんな懸念も口にする。

「先日、香港で父についての講演をした際も、“日本は戦時中なにをしたのか”と聞かれました。中国の南京大虐殺に関する文書が世界記憶遺産に登録されたため、日本が父の功績で対抗しているというのです。申請内容に嫌疑があるとなれば中国も黙っていないでしょう。国益にかかわるだけに、正しい歴史を後世に伝えて欲しい」

 奇しくも千畝の没後30年。何よりも平和を望んだ彼の“文字”に、中国からもケチが付かぬように。

特大ワイド「ふりむけば百鬼夜行」より

週刊新潮 2016年11月10日神帰月増大号掲載

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