原千晶、「正面から向き合えなかった」重篤化させてしまった子宮頸部がん がんに打ち克った4人の著名人(4)

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 情報番組「ひるおび!」(TBS系)のレギュラーコメンテーター・原千晶さん(42)は、手術を勧めてくれる人の意見を聞かず、がんを深刻なものへ重篤化させてしまった苦い経験をもつ。

 原さんが、最初にがん宣告を受けたのは、05年3月のことである。

 生理時の腹痛、おりものの多さなどが心配で大学病院を受診。子宮頸部に腫瘍が見つかり、切除して調べたところ、がんと判明したのだ。しかも医師は命を優先するために、子宮全摘を勧めたという。

「がんは全然予想していなかったし、子どもを産めなくなるのが何よりショックでした。涙が溢れ、手から冷たい汗が吹き出して、その手を、実家のある北海道から駆けつけてくれた母がぎゅっと握ってきたのを覚えています」

 凄まじい衝撃を受け、診察室を出た途端、過呼吸で倒れ、看護師が駆けつける事態になった。しかしその後、人と会う約束があり、彼女は自ら車を運転して目黒駅へ向かった。到着して運転を代わった母親は、別れ際、車内から必死の形相で叫ぶように言った。

「千晶ちゃんがいてくれなかったら、本当に、お母さん、困るんだからね!」

 だが、原さんはその声を振り切るようにして、足早に立ち去った。がんと認めたくない自分がいたという。

「当時は仕事も恋愛もうまくいっていなくて、そこにがん宣告が重なりました。手術で休んだら、仕事に影響する。子宮をとったら、彼が去って行くかもしれない。様々な思いが交錯し、自分を襲った運命があまりにも理不尽で……。病気のことに正面から向き合えなかったのです」

 医師に加え、両親や所属事務所社長など全員が手術を勧める中、結局、原さんはこれを拒否。毎月、診察を受けるということで、紛糾する話は決着した。

■「もう一度、テレビに出られるようにしてあげる」

 幸か不幸か、以降4年間は体調は良かった。また仕事が忙しくなり、3年目以降は診察を受けなくなっていた。もっとも、心配する母親には、「通院を続けている」と嘘をついていた。

 間もなく丸5年が経とうという09年12月、激烈な腹痛が彼女を襲った。

 手術を断った元主治医のもとには行けず、がん専門病院を受診すると、開口一番、こう言われた。

「あー、ダメだこりゃ。なんでこんなになるまで放っておいたの」

 腫瘍はより悪性度の高い子宮頸部腺がんに進行していた。宣告された手術は、広汎子宮全摘。子宮や卵巣、卵管、骨盤内の複数のリンパ節もとるという大がかりな手術が必要とされた。後に子宮体部類内膜腺がんステージ3Cであることも判明する。後悔と恐怖の念に打ちのめされた原さんだったが、それ以降、たくさんの人の優しさによって救われていくことになる。

 まず不義理をした元主治医の対応をお伝えしよう。がん専門病院で手術を受けるために、原さんがカルテを取りに行くと、その医師は何事もなかったかのように、こう語りかけてくれた。

「もう一度、テレビに出られるようにしてあげるから頑張ろう」

 結局、この元主治医に執刀してもらうことになった。

 心配をかけ続けた母親はどうか。一言も咎めず、冷静に、「すぐ行くから。大丈夫だから、待っていなさい」と北海道から上京した。

 そして数年前から交際を始めていた、1歳年上の彼も、彼女の心に寄り添った。

「いつも冷静に、同じ生活リズムでいてくれた。“検査結果を聞きに行きたくない”とごねていた私におにぎりを作ってくれたり。そんな彼にも救われました」

■「彼女を裏切ったら許さない」

 忘れられないのは、入院中、彼が、新潟に住む両親に、結婚を前提に付き合う彼女ががんに冒されている事実を知らせた時のことだ。彼は長男ということもあり、両親は孫の誕生を望んでいるはずである。だが、両親は結婚に反対するどころか、原さんのことを心底心配してくれ、とくに元大工の父親は息子にこう言い含めた。

「いちばん辛いのは彼女だ。彼女がお前を振るのはいい。だけど、お前が彼女とずっと生きると決めたんだ。お前が彼女を傷つけたり、裏切ったりするのは絶対にダメ。そうなったら、俺はお前を息子として許さないぞ」

 これを病室で聞いた原さんは、がん宣告以降、最も激しく号泣したという。

 大手術が終わった後は、抗がん剤治療も必要になった。便秘の不快感など、筆舌に尽しがたい副作用に耐えられたのも、先述の支えがあったからだ。彼とはほどなく結ばれた。

 原さんは女性としての一部を失った。ぽっかり空いた穴を埋めてくれたのは、5年前、子宮がん、乳がんなど婦人科系のがん患者が語り合う場として設立された「よつばの会」である。

「語り合うことで、悩み苦しんでいるのは自分だけではないと、気持ちが楽になったのです。他の皆さんも、背負っていたものが軽くなったと言ってくださる。誰かの役に立って感謝されると、自分の存在が認められた喜びにもなりますね」

「特別読物 がんに打ち克った4人の著名人 Part4――西所正道(ノンフィクション・ライター)」より

原千晶
1974年生まれ。94年「第21代クラリオンガール」グランプリでデビュー。以後、ドラマや映画などで幅広く活躍。2011年には婦人科系のがん患者の会「よつばの会」を発足させ、全国で講演活動などにも取り組んでいる。著書『原千晶39歳 がんと私、明日の私、キレイな私。』(光文社)

西所正道(にしどころ・まさみち)
1961年奈良県生まれ。著書に『五輪の十字架』『「上海東亜同文書院」風雲録』『そのツラさは、病気です』、近著に、『絵描き 中島潔 地獄絵一〇〇〇日』がある。

週刊新潮 2016年10月13日神無月増大号掲載

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