高いけど旨い魚を食べる! それが日本社会の豊かさを守る「モノサシ」だ

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藻谷浩介さん

■漁業者性悪説のウソ(3)

世界有数の魚食大国・日本。1人当たりの食用魚介類供給量は、人口100万人以上の国の中では世界一だが、近年、急激に「魚ばなれ」が進んでいる。

減っているのは消費量だけではない。昔に比べて、日本人が食べる魚種が少なくなり、スーパーに並ぶのは定番魚種の切り身ばかり。丸魚はめっきり減った。

「このままでは日本は食文化まで、〈アメリカ化〉してしまう」と警鐘を鳴らすのは、ベストセラー『里山資本主義』で知られる藻谷浩介さん。

「じつは魚食文化こそが日本の豊かさを測る〈モノサシ〉になるんじゃないかと気づいたんです。魚食を守るためには、まさに国土と国民の総合力が問われますから」。

どういうことか? 藻谷浩介さんの『和の国富論』(新潮社刊)から、漁業経済学者の濱田武士・北海学園大学教授との対談の一部を再構成してお伝えしよう。

■なぜ北陸の魚は「高いけど旨い」のか

藻谷 定番の刺身盛り合わせパックばかりでは、消費者側の魚食リテラシーも下がる一方だと……。

濱田武士さん

濱田 消費者から「魚に骨があった」とクレームが入るという話をよく聞きます。スーパーでは骨抜きをした加工品でないと売れないらしいですよ。

藻谷 もはや魚に鱗があるということすら、みんな忘れている。たまに丸魚をもらうと、鱗落としをせずにそのまま焼いてしまってエライ目にあったとか(笑)。

濱田 鱗付きの丸魚は、鮮度の保ちが良いから、本当の魚好きは鱗付きを好むものなのですが……。魚は良し悪しが非常に個別的なので、味にこだわりがある人ほど、一匹一匹モノを見て判断したいわけです。魚の目の透き通り方を見たり、お腹の出具合(餌が入っていない方が臭みがなく美味しい)とかで鮮度や味を判断する。

藻谷 なるほど。農産物なら、同じ畑で穫れたものは大体同じ品質なので、良い農場を見つけたら、後はそこから直送してもらえばいい。でも、魚は同じ海で獲れたものでも、一匹一匹確認しないと品質がわからない。だから、プロの板前は、わざわざ毎日市場に出かけて行って、魚を仕入れるんですね。

濱田 そのようなプロの板前と卸人の存在が、魚食文化の最後の砦だと思っています。板前と卸人の間には、まだ「いいものを出したい」というプロの矜持が残っています。ただ、接待文化がなくなって、料亭やちゃんとした料理屋がどんどん減ってしまって……。

藻谷 みんな居酒屋チェーンに取って代わられてしまい、料理人が腕を振るう場所がなくなってしまった。寿司屋もチェーンの回転寿司が大隆盛。あとコンビニとかの中食部門も急成長しています。

濱田 それらは当然、その低価格に見合う原料しか使わないので、輸入の冷凍モノばかりになります。

藻谷 とにかく安けりゃいいという世の中になってしまいました。

濱田 でも北陸では、まだ「いい魚をいい値段で食べる」という文化が生き残っていますね。金沢なんかは、本格的な料理人が集まっています。だから、ちょっとした料理屋に入っても、時価で結構いい値段を取られる(笑)。

魚介類への年間支出金額(総務省統計局「平成26年度家計調査年報」)

藻谷 そうそう、高くてビックリ(笑)。北陸はもともと地産地消の経済が発展していた地域で、魚も地元の美味しいものを食べている。とくに福井や富山などは比較的単身世帯が少なく、3世代世帯とか大家族が多いから、大きな丸魚でもちゃんと食べ切れる。

濱田 北陸が幸福度ランキングで1位から3位までを独占しているのは、魚のおかげかも(笑)。ちなみに私の出身地の大阪府は最下位です……。

藻谷 金沢市中央卸売市場も、圏域の人口の割には水産物の取扱高では全国上位に食い込んでいます。

濱田 ブリとかズワイガニとか近海で良いモノが揚がる上に、やっぱりいい値段が付くので、モノによっては太平洋側で獲れた魚まで金沢に集まってくる。築地よりも高く売れたりしますから。
 でも、いくら北陸の魚食文化の豊かさについて話しても、経済至上主義の人に言わせると、「北陸なんて全然ダメじゃん」ってことになるんでしょうね。

藻谷 彼らから見れば、魚も単なるモノ。旬だとか鮮度とかは面倒なだけ。そんな不便なモノは食べない方が経済は成長するなんて、本気で思っているんじゃないですか。

■「魚食文化」は日本社会の最後の砦

藻谷 はじめてアメリカの中西部の田舎町のレストランに行った時に驚いたのは、主菜のメニューが、ビーフ、ポーク、チキン、シーフードの4種類だけだったこと。肉はかろうじて3種類に分類されていますが、魚介類はシーフードで一括りにされていて、しかも料理法は「焼く」だけです。
実際、その辺に住んでいる人々の魚食のバリエーションは、ナイルパーチだか深海魚だかのソテーの1種類しかない。

濱田 供給する側からすれば、ものすごく好都合ですね。それが「経済原理に適っている」ってことなんでしょうか。

藻谷 たしかにアメリカは未だにGDPがどんどん伸びている。でも「食べているものの種類は、日本人の50分の1しかありません」みたいな社会です。

濱田 ある意味、すごい貧困社会。

藻谷 マネー資本主義を突き詰めれば、みんなウォルマートで冷凍ナゲットと袋菓子だけ買って生きてくれれば、一番効率良く儲かって配当に回せる、という話になる。同じジャンクフードを繰り返し買ってくれる客層を大量に育てるのに成功し、業者も資本家も万々歳でしょう。

濱田 日本人の目から見ると、アメリカの自然って大雑把で単調じゃないですか。もしかしたら、それで食文化も単調になってしまうのかなっていう気もします。
 日本中の漁村を歩き回っていて思うのは、やっぱり日本の自然って多様で豊かだということです。そして、その自然の恵みを先人たちがうまく利用して、多様で細やかな食文化を築いてきた。

藻谷 でも、日本社会もどんどんグローバルスタンダード化、要するにアメリカ化しています。最近は、やたらグルメな人と、まったく味に関心がない人と、二極分化が起きているような気がします。

濱田 あと規格化されたものしか信じないという人も出てきたように思います。よくわからない近海モノの鮮魚よりも、冷凍食品のフィッシュフライの方が安心できるとか。

藻谷 まるでキャットフードしか食べないネコみたいに、野性を失い規格化された人間が、毎日冷凍食品だけ食べている。

濱田 結局、「豊かさとは何か」という哲学がないままに、闇雲に経済成長を追い求めたツケでしょうね。数字上の豊かさを追求すればするほど、かえって本当の豊かさが逃げていくというパラドックスにハマってしまった。

藻谷 ええ。私は濱田さんの本を読んでいて、じつは魚食文化こそが日本の豊かさを測る「モノサシ」になるんじゃないかって気づいたんです。魚食を守るためには、まさに国土と国民の総合力が問われますから。
 たとえば、日本の農村地帯にトキが一羽も飛ばなくなった時、それはやっぱり日本の国土が相当マズイことになっているだろうと思うわけです。その意味で、トキは日本の豊かさを測る一つの指標になっているわけですが、漁業はもっと総合的な指標になるのではないかと。

濱田 そうですね。漁業が元気でいるためには、国土の健全性が総合的に保たれていなければならない。長い海岸線に沿って漁業者が分散して住める状態にあって、山と海の自然の恵みの循環を守りながら、そこで獲れた魚介類をスムーズに都会に送る流通インフラが整っていて……。

藻谷 しかも、それなりのお金を出して、魚を味わうリテラシーと精神的余裕のある人々が、産地にも都会にも一定数以上住んでいなければならない。

濱田 ひたすら自然環境を守れというディープ・エコロジーではなく、経済的にもちゃんと循環していく形で、社会全体の多様性や再生可能性を守ることが、本当の豊かさにつながると思います。

(「漁業者性悪説のウソ」おわり)

※この対談の完全版は、藻谷浩介『和の国富論』(新潮社刊)で読むことができます。

藻谷浩介
(株)日本総合研究所調査部主席研究員
1964年、山口県生まれ。東京大学法学部卒。日本開発銀行(現・日本政策投資銀行)、米国コロンビア大学ビジネススクール留学等を経て、現職。地域振興について研究・著作・講演を行う。主な著書・共著に、『デフレの正体』、『里山資本主義』、『藻谷浩介対話集 しなやかな日本列島のつくりかた』、『和の国富論』など。

濱田武士
北海学園大学経済学部教授
1969年、大阪府生まれ。北海道大学大学院水産学研究科博士後期課程修了。東京海洋大学准教授を経て、現職。著書に、『伝統的和船の経済』、『日本漁業の真実』、共著に、『福島に農林漁業をとり戻す』など。2013年、『漁業と震災』で漁業経済学会学会賞。近刊に、『魚と日本人―食と職の経済学』(岩波新書)。

2016年10月12日掲載

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