「いつか死ぬんだから自殺なんかするな」 百田尚樹のニュース放談(1)
百田尚樹さん
■言いたいことは我慢しない
新著『鋼のメンタル』が発売1ヶ月余で19万部と、百田尚樹氏は相変わらず根強い人気を誇っている。同書執筆のきっかけは、その言動で「炎上」が日常茶飯事の百田氏に対して「そのメンタルの強さの秘訣を教えてほしい」と編集者が依頼したことだった。
実際のところ、批判も炎上も何のその、百田氏は書籍のみならず有料メルマガ(「百田尚樹のテレビでは伝えられない話」)や、CSやネットで放送している番組(DHCシアター「真相深入り! 虎ノ門ニュース」)でも積極的に自身の考えを発信し続けている。
御本人によれば、「言いたいことを我慢するストレスよりも、言って叩かれるストレスの方が楽」(『鋼のメンタル』)なのだという。
それならば、もっといろいろと語っていただこうと、最近のニュース等についての見解を聞きに行ってみたので、そのインタビューを3回にわたってお届けしよう。
第1回目のテーマは「自殺」。以下は、百田氏の「自殺論」だ。
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■「自殺したいと考えた」が4人に1人!
日本財団が発表した自殺に関する調査結果によれば、全国4万人以上の成人男女にアンケート調査を行なったところ、4人に1人が「本気で自殺したいと考えたことがある」と答えたそうです。この調査では、中でも若者層(20~39歳)が最も自殺のリスクが高い世代だとなっています。
私は、本気で自殺を考えた人が4人に1人というのはあまりにも多過ぎる、と感じました。なぜ現代の日本でこんな数字が出るのか、と。
私たちは、奴隷制度がある頃のアメリカ黒人でもなければ、スターリン統治下のソ連の国民や、文化大革命時代の中国の知識人でもありません。戦争もない。飢餓もない。人種差別もない。病気で死ぬリスクも低い。全員がスマホを持ち、コンビニへ行けばいつでも美味しいものが食べられます。私たちが暮らしているのはこんな国です。
こんな豊かな社会で、そんなに多くの人が「死にたい」と思っているというのが意外です。
こういうことを言うと、「いや、貧困とかは相対的な問題だから、そんなに単純な話じゃない」といった意見が必ず出ます。最近は大新聞でも「貧困というのは相対的なものだ」という主張をしています。でもこの論理はあきらかにおかしい。相対的な問題にしてしまえば、どんなに豊かになっても解決しないことになるになるじゃないですか。だって必ず、一定の格差は生まれるんです。たとえば10億円もっていても、周りが10兆円持っていたら「不幸だ」と感じるということになる。
それを無くそうとすれば、共産主義を徹底するしかないけれども、そんなものがうまくいかないことはもう歴然としています。
しかも、金銭的な格差の是正はまだ可能でしょうが、見た目の格差をどうするのか。「あなたは美人だからブスに合わせなさい」と手術を強いるのか。不可能です。
結局、他人と自分とを無闇に比べるから不幸になるんです。
幸福の基準を他に求めても仕方ないでしょう。ですから「相対的貧困」という一見聞こえのいい言葉は欺瞞に満ちたレトリックと言ってもいい。
■悩むから成長する
私自身は、真剣に自殺を考えたことなんか一度もありません。ちょくちょく「死にたいわ」などと口にすることはありますが、全然本気じゃありませんからね。
若い人が悩むのは大いに結構だと思うんですよ。
人間はうまくいかないときにこそ成長するんですから。壁にぶつかって、「じゃあどうしよう」と考えることに意味がある。
もちろん、そんな壁ばかりではなくて、本当に深刻でどうしようもない悩みを抱える方もいらっしゃるでしょう。生きているほうが辛い病気や、家族を失った絶望感が理由で死を考える気持ちはわかります。あるいは自らが犯してしまった犯罪による、耐えがたい良心の呵責とか。
しかし、ほとんどの若い人の「死にたい」理由はそんなものではないのではないでしょうか。「本気で死を考えた理由」を他人に聞かせて、はたして多くの人が納得する理由とは思えない気がするのです。
おそらく、彼らの多くは、どこかで死をリアルなものとして捉えておらず、ドラマのようなものだと考えている。どこかでリセットできるように思っているのかもしれません。が、そんなことはありえません。
厳しい言い方ですが、自殺の多くは、一種の逃避ではないか、と私は思っています。
人間、どうせ死ぬんです。事故にも遭わず、大きな病気をしなくても80歳前後で死にます。
500歳まで生きる人なんていないんです。
だからあせって死ぬことはないじゃないか、と思うのです。
『鋼のメンタル』にも書きましたが、死にたいと思うことがある人がいたら、発想の転換をして欲しいと思います。それができないという人は、東北や熊本の被災地に行ってみてください。不幸は人を打ちのめすことはできますが、完全に打ち倒すことはできないということを知るでしょう。