新時代のリーダーは「進学校」より「崩壊学級」で錬成せよ
■学力神話のウソ(3)
「日本には優れたリーダーが足りない」「リーダー養成のためのエリート教育が必要だ」――このように考えている日本人は多いだろう。実際、わが子を将来のリーダー層に押し込もうと、名門付属小学校を「お受験」させたり、中高一貫の超難関進学校に通わせたりする親たちが引きも切らない状況だ。
しかし、ベストセラー『里山資本主義』の著者で、地域再生の専門家の藻谷浩介さんは、「もし本当にわが子を優れたリーダーに育てたいと願うなら、有名進学校に『隔離』するのだけはやめた方がいい」と言う。
藻谷さん自身、東京大学に進学するまでは、地元のごく普通の公立校に学び、自らの息子2人も一貫して近所の公立校に通わせたという。藻谷さんは、「子どもを世間から隔離して育てることのマイナスが分かっていない親が多すぎる」と言うが、一体どういうことだろうか?
藻谷さんの近著『和の国富論』(新潮社刊)から、「学級崩壊立て直し請負人」の異名を持つ元小学校教師・菊池省三さんとの対談の一部を再構成してお伝えしよう。
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藻谷浩介さん
■新たなエリート、「スーパーA」
菊池 最近よく、エリートを育てる教育とか、リーダーを育てる教育とかって言うじゃないですか。私はもし本当に社会を引っ張っていくエリートを育てたいんだったら、今しんどい状況にいる子どもたちと一緒の教室で学ばせないとダメだと思うんです。たとえば、グジャグジャに崩壊していた学級が、一年かけて立ち直っていく。その過程で本当のリーダーが育っていくんですよ。
藻谷 まったく同感です。成績上位者だけが集まる“エリート”中高一貫校で勉強させ、さらに同じように育ってきた人間ばかりを選抜する“一流”大学なんかで学ばせたら、凸凹のある多様な人々をまとめられるリーダーは出てこないんじゃないかと、とても危惧しています。雑多な人がいて、むしろ崩壊の危機があるぐらいの環境の方が本当のエリートが育つ。会社経営でも、もし優秀な幹部候補を育てたいなら、崩壊寸前の小さな組織などに出向させて、戦わせるべきなんです。「半沢直樹」みたいに(笑)。
菊池 教室のイメージって、大体「2・6・2」なんです。つまり、頑張る子が2割、普通の子が6割、だらんとしている子が2割。で、小学校教師がよく陥りがちな罠は、下の2割を何とかしようと躍起になって、学級全体を崩壊させてしまうこと。そうではなく、普通の6割を上に引き上げて、まずは「8・2」の状態に持っていくのがコツなんです。
藻谷 ご著書の『学級崩壊立て直し請負人』(新潮社刊)でも、クラス替えして最初のうちは下の2割が訳の分からんことを言い出してもスルーすると書いていらっしゃいましたね。そうすれば学級崩壊への道は断てると。
菊池 では、下の2割をどうするか。それは上の8割の中から「スーパーA」、つまり他の仲間を引っ張り上げていけるスーパーエリートを出せばいいんです。観察していると、「8・2」まで持っていくと教室が安定した状態になり、自然と「スーパーA」が出てくる。そうすると、クラス全体のレベルが上がって、結果的に下の2割も引き上げられる。
藻谷 「スーパーA」というのは、「私、上の2割で勉強ができますが、何か?」というタイプじゃなくて……。
菊池 そうじゃなくて、クラス全員、1人も見捨てないという信念を持ったリーダータイプ。どうして「スーパーA」が出てくるのか、なぜ彼らは下の子たちを引き上げることができるのか、私もまだ理論的な裏付けができていないんです。でも、過去の実体験としては確実にあって、「スーパーA」が出てくると、クラスの集団達成意欲が格段に高くなるんです。
藻谷 「下の2割を切り捨てることによって、学級の水準を保っていこう」という凡庸なリーダーの浅知恵では、個人が自信を持ち、安心できる集団は育たない。
おそらく本当のリーダーというのは、下の2割にも感応できる人のことを言うんでしょうね。上の2割も、やっぱり普通からは外れているという点では同じなので、外れている者同士、波長が合う部分があるのかも知れない。両者とも飛び抜けたものを持っているんだけど、たまたまうまくプラスに振れた子と、ちょっと怠けてマイナスに振れちゃった子がいるだけで……。
菊池 そうか、これは相当納得したぞ(笑)。たしかに「スーパーA」の中には、かつてその子自身が下の2割だったという子もいました。しかも、その子は自分が上に上がれたのは、その時の「スーパーA」のおかげだったと言うんです。やっぱり下の2割にいる子どもでも、そういう複雑な人間の機微を理解できる内面を持った子がいるわけですよ。
藻谷 思い返せば、私はじつは「スーパーA」をやろうとして、上手くできずに失敗して、いじめられた人間なのかも知れない。逆に、「だから藻谷くんは嫌われるんです!」と言った委員長タイプの彼女は、今思えば「スーパーA」だった。
じつはこの前、同窓会で彼女に再会したんです。いま彼女は小児がん病棟の看護師をやっているそうですが、これは本当にキツい仕事で、面倒を見ている子どもたちの多くが死んでしまう。並の精神力では正気が保てない仕事だけど、でも絶対に社会に必要とされている、まさに社会の宝のような存在なんです。彼女のような人が本当のエリートで、自分さえ良ければそれで良い、他は切り捨てて「はい、さよなら」という人は、エリートでもリーダーでもないんですよ。
菊池 だから私たち教師は、もし教室で級友を注意している子どもを見たら、「ああ、この何気ない行為が、この子が大人になったときの人生につながっていくんじゃないか」と思って、ちゃんと褒めてあげなきゃならんと思うんです。そこが公教育の良き役割なのに、「学力テストの順位を上げろ」なんてことばかり言っていたら、自分たちで自分の首を絞めてしまうことになる。
藻谷 そもそも学力なんて、いくらでも後付けできますよね。「スーパーA」の彼女も、もしかすると高卒で看護学校に行ったのかも知れませんが、キツい仕事をしながらドクター論文まで書いて――彼女にとっては論文を書くのが一種の発散行為だったようですが――今では同級生で唯一の博士になっちゃった。
池省三さん
■子どもを進学校に「隔離」するリスク
菊池 いくら良い大学を出たと言っても、進学先が決まるのなんてせいぜい18歳かそこらの話じゃないですか。その後の長い人生をどう歩むかで、人の能力なんてまったく違ってきます。
藻谷 それと、子どもを世間から隔離して育てることのマイナスが分かっていない親が多すぎる。東京大学の同級生にも、世間の人をむやみに見下す人とか、逆にヤクザを異常に怖がる人とかがいます……要は小さいころから隔離されているから、さまざまな階層の人とどのような距離感で接すればいいのか分かっていない。実際、霞が関にもヤクザ汚染がありました。今は昔に比べれば少ないのでしょうが、たとえば人から紹介されて、ヤクザとは知らずに付き合って、そのうち変な写真を撮られて脅されるとか……。
菊池 世間を知らないから、みんないい人だと信じ込んでしまうんですかね?
藻谷 普段はいい人だけど、裏では何をしているかよくわからない。何かがきっかけで態度が豹変する――昔から不良って、そういう友だちなんだか嫌な奴なんだか、よく訳の分からない存在だったじゃないですか。それはやっぱり幼いうちに経験しておかなきゃ分かんない。
菊池 だからクドいようですが、やっぱり公教育という、いろんな子がいて、いろんな学びがある“場”を、日本社会はもう一度しっかり再評価しなきゃならんと思うんです。凸凹した場を少しずつ均しながら、1年かけて転がしていく体験が、子どもたちを成長させるんです。
藻谷 まさにそれこそ、地域再生の現場でも必要とされている能力です。崩壊寸前の地域には、教室と同様、タチの悪い裏ボスもいれば、組織の長なのにまったくやる気のない看板だけの人もいる。そういった人とも付かず離れず、何とか普通の6割の人々を引き上げて、上2割のやる気のある人と糾合し、ゆっくりと地域を動かしていく――それが地域再生ですから。学力テストの点数が良い人よりも、崩壊学級を立て直した経験がある人の方が、絶対に戦力になる。
菊池 よく「教室は宝箱」なんて言いますが、それは教室が実社会の縮図だからこそ「宝箱」なんです。それなのに、最近はそのような多様性のある宝箱を小さくしよう小さくしようとしている。
藻谷 その行き着いた先が、昨今の国会みたいに、まったくコミュニケーションが成り立たない社会。
菊池 コミュニケーション能力というのは、経験しないと伸びない力です。失敗と成功を繰り返す中で伸びていくわけで、学校教育ももっとそれを体験させる授業を大事にしていかないといけない。それは他者との関わりの中でしか学べないし、凸凹した環境の中でしか深まりません。
藻谷 ぜひ日本の教育をコミュニケーション中心のものに変えて下さい。企業の社長なども、これを読んだら絶対に「そうだ!」って言ってくれると思うのですが、なぜか未だに採用においても学歴信仰が残っているのが不思議です。
菊池 ちょっと前に人から聞いて「なるほど」と思った話なんですが、中途採用の面接などでも、よく「最終学歴を教えて下さい」とか訊くじゃないですか。すると「〇〇大学卒業です」とか、何年も前、場合によっては十何年も前の古い情報しか分からない。そうではなく、「最新学習歴を教えて下さい」って訊けばいいんじゃないかって。たとえば「昨日は、藻谷浩介さんの講演会に行って、こんなことを勉強してきました」という答えが返って来れば、その人が今どのような学びの人生を歩んでいるかが分かる。
藻谷 一番最近学んだことを聞くのはいいですね。ぜひ「最新学習歴」を重視する社会に転換させていきましょう。
(「学力神話のウソ」おわり)
※この対談の完全版は、藻谷浩介『和の国富論』(新潮社刊)で読むことができます。