いじめ自殺を考えた藻谷浩介さん「俺が死んで、あいつらを反省させてやる」
■学力神話のウソ(2)
2016年の「全国学力・学習状況調査」の結果が9月29日に発表され、全国の教育関係者の注目を集めている。しかし、ベストセラー『里山資本主義』の著者で、地域再生の専門家の藻谷浩介さんは、「学力テストの点数に意味はない」と断言する。
「昨年まで秋田県は小学生の学力テストの結果が9年連続で1位でしたが、それでどんな良いことがあったでしょうか? 出生率が特に低く、1村を除いて県内の全自治体が消滅可能性都市に指定され、自殺率も全国でもっとも高い県の1つです。少なくとも学力の高さが地域のプラスになっているとはまったく思えません」。
「いくらテストの点数を上げても、生きる力にはつながらない」と藻谷さんが語る背景には、小学・中学時代に成績トップの優等生だった自身が受けたいじめと挫折体験があるという。
藻谷さんの近著『和の国富論』(新潮社刊)から、「学級崩壊立て直し請負人」の異名を持つ元小学校教師・菊池省三さんとの対談の一部を再構成してお伝えしよう。
■毎日死ぬことばかり考えていた
藻谷浩介さん
菊池 前から気になっていたんですが、藻谷さんはご自身が学歴エリートでありながら、受験勉強は下らないとか、知識詰め込み教育はダメだとか、「点数」批判の急先鋒ですよね。いつの段階で、そう思うようになったんですか?
藻谷 私は小・中・高と地元徳山(現山口県周南市)の公立校育ちですが、じつは小学生の頃からずーっと「点数や成績には意味がない」と思っていました。自分で言うのも何ですが、私は小さい頃からテストの点を取ることだけは得意でした。でも、運動はまったくダメで、小・中学校の運動会の徒競走では、常に全力で臨んだにもかかわらず8年連続ビリ。最後、中3のときは障害物競走で1人網に絡まった奴がいて、ビリから2番目だったという筋金入りです。
菊池 そこまで覚えているということは、いかにそのことにコンプレックスが強かったかってことですよね。
藻谷 そうです。体育は5段階評価で2が普通でしたから、通知表を貰うたびに「お前はダメ」と刷り込まれているような気がしました。なのにやたらと正義感が強くて、いろいろ突っかかる性格だったから、もう当時はもっともイジメの標的になるタイプ。椅子に画びょうを仕込まれたり、両足をつかまれて階段をバーッと引きずり落とされたり……学力が生きる力につながるどころか、毎日死ぬことばかり考えていました。
菊池 それはいつ頃の話ですか?
藻谷 2回ありまして、最初は小学校5年から6年にかけて、あとは中2前後で1年半ぐらい。だから、いじめで自殺する子どもの気持ちがすごく分かる気がする。彼らは弱さから死を選ぶんじゃなくて、むしろ我を張り通した1つの姿として死を選ぶんですよ。「俺が死んで、あいつらを反省させてやる。呪い殺してやる」みたいな。
菊池 いじめた人たちは、今でもそれを覚えていますか?
藻谷 それが……少なくとも私が記憶しているようには覚えていない。じつは今では結構仲良しで、「あん頃は藻谷くんが偉そうじゃけ、みんなで妬んで、ちょっとやんちゃしてごめんね~」みたいな感じ(笑)。私としては全然笑い話じゃないんだけど、同窓会では笑い話になってしまっています。
■「場の広さ」が生きる力を養う
菊池省三さん
菊池 どうやっていじめを克服したんですか?
藻谷 うちは3人兄弟でとても仲が良かったのが救いになっていました。英語で劇をしたりするラボ・パーティという団体に入会して、学校とは別の世界も持っていました。この前も小学校の同級生から「藻谷くんって、学芸会の劇の台本を書いたり活躍していたよね」なんて言われて驚いたんですが、自分の記憶では自殺を考えて神経性胃炎になるほど悩んでいたんですが、意外に他に発散できる場所があったのかも知れない。
それと、中2の頃に2回、人生観を揺さぶられるような衝撃的な言葉にぶつかったのが転機になりました。1回目は母親から、「あんたは自分が正しいって言うけれど、世の中は相手の評価がすべてなんだから、周りにも合せなきゃダメなのよ!」って。2回目は、当時ちょっと好きだった学級委員長タイプの女の子から「藻谷くんはそんな態度だからみんなに嫌われるんです!」って言われた。
菊池 うわぁ、年齢的にも一番過敏な時期に、それぞれ、一番言われたくない台詞を、一番言われたくない相手に言われてしまった。
藻谷 そうなんです(笑)。その言葉を受け入れるのに1年くらいかかりましたが、中3の頃に小説を書く授業があって、その時に「意固地になって孤立していくバカみたいな男子生徒」という、まさに自分の分身みたいな主人公の話を書いたんです。その時にようやく開き直れました。
菊池 それで高校では、少し人に合せるようになった?
藻谷 高校も地元の公立校だったんですが、上から4分の1ぐらいは成績順の進学クラスで、とにかく勉強が出来れば帝王みたいな雰囲気で(笑)。イジメもないし、私にとっては天国みたいな環境でしたが、同時に「勉強が出来るだけでチヤホヤされるなんて変だ」という違和感もあった。で、東大に進学したら、もっと変な環境だった……って、つい先生に乗せられて、長々と自分語りをしてしまいましたが、私が言いたかったのは、とにかくいろいろな人間がいる凸凹した環境で揉まれるからこそ、子どもは社会性やコミュニケーション力を身につけることができるということです。
菊池 まったく同感です。まさにその「場の広さ」が公教育の得意技なわけです。
藻谷 僕が山口県に生まれて良かったなと思うのは、突出したエリート校がなかったこと。どの高校にも甲子園に出るチャンスがあるし、進学校とされる高校にも就職組がいた。そういう凸凹した人間関係の中で揉まれたから、私は何とか社会で生きる力を身に付けることが出来たんだろうと思います。
もし僕が兵庫とか鹿児島に生まれていたら、灘とかラ・サールに「隔離」されてしまい、あの意固地な性格も変わることなく、かなりしんどい社会人になっていたでしょう。
(学力神話のウソ(3)へつづく)
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