【王将社長射殺事件 黒幕と疑われた男の告白(下)】私を犯人扱いした京都府警

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食い違う債務額

 その50億円で、住管機構との和解が成立すると、福岡の本社ビルを担保に銀行から借金をしたり、持っていた土地を売却したりして、40億円を調達し、『王将』に返済しました。

 それでも、未だ10億円の債務が残っていましたが、経営が軌道に乗るまでの運転資金として、追加で3億円とか5億円を借り、それを返して、再び借りたりということを繰り返していました。ところが、そのうちに借金を返しても、『王将』が物件を担保から外してくれず、トラブルになりました。

 そのころ、わざわざ欣吾さんが京都から福岡の会社まで来て、私の留守中に『社長の了解は得ているから』と従業員にウソをつき、怪しげな書類にうちの社判をつかせるようなことも何度かあった。

 そして、最終的に、私の債務額でかなりの食い違いが出てくるのです。

 05年の段階で、『王将』は私に対し、90億円以上を貸し付け、そのうち返済額は40数億円に過ぎないと主張してきました。

 経営悪化の責任を取って、潔さんも欣吾さんもすでに『王将』を去っていた。私は、潔さんのあとに社長に就いた大東さんと何度も話し合いの機会を持ちました。

 私としては40数億円という数字には納得いきませんでしたが、あと5億円を支払えば残りは債権放棄するからということで、『王将』との和解に応じました。『王将』は、東証1部への鞍替えを準備していたため、いつまでも債権を引き摺るわけにはいかないという事情があった。

 その結果、私が負った債務は約40億円であると、双方で確認し合い、それは文書にも残されているのです」

責任転嫁

 それなのに、なぜ、いまになって、約260億円というケタ違いの金額が私に流出したことになっているのか。

 私には、『王将』の内情が火の車だったことに理由があったと思えてならない。

 欣吾さんが専務だった当時、『王将』は商工ローン大手の日栄の株を大量購入したり、不動産投資にも積極的に手を出し、大赤字を抱えてしまったことがある。

 終いには、ロンドン市場で50億円もの外債を発行したものの、デフォルト寸前にまでなっていた。

『王将』の経営陣は、損失の穴埋めのために、経理上、それを私に押し付ける格好を取ったのではないでしょうか。私との取引で損失が発生したことにすれば、会社内部で誰からも異論を唱えられないと責任逃れをしたに違いないのです。

 私が上杉佐一郎の弟だから、アンタッチャブルだという誤った偶像化がされてしまったのかもしれません。

 第三者委員会による『調査報告書』は、すでに13年に実施されていた社内調査を叩き台にしていると聞いています。その社内調査は、東証1部上場への準備で、辻褄合わせに行われたに過ぎないものでした。本来、それは、公表されるべきではなかった。ところが、大東さんの事件が起き、私に責任転嫁をしたままの調査結果が明るみに出てしまった。

 そのせいで、私は白い目で見られることになったのです。

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