【王将社長射殺事件 黒幕と疑われた男の告白(上)】兄は部落解放同盟のドン、美空ひばり最後の後見人

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「餃子の王将社長射殺事件」は発生から3年近くが経つものの、未だ犯人逮捕には至っていない。しかし、疑いの目を向けられた男がいる。部落解放同盟のドンを兄に持ち、なおかつ、美空ひばりの最後の後見人……。その男、上杉昌也氏(72)による独占告白である。

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「2014年の4月初め、京都府警捜査1課の刑事2人が、福岡にある私の会社を訪ねてきました。

 そのうちの警部補を名乗った刑事は開口一番、

『九州のヤクザが動いとる。九州と言ったら、あんたしかおらん』

『上杉さん、王将の犯人はあんたしかおらんのや』

 と迫ってきた。

『なぜ、そんな決めつけ方をするんですか』

 と反発しても、

『あんた、同和の人ですやん。同和即反社ですよ』

 私は、

『刑事さん、その発言は問題になりますよ』

 そう言い返しました。

 それでも、警部補は、

『いや、怒らんといて下さいよ。同和の人は同和の人としか結婚できないんでしょう?』

 と、挑発する言葉を繰り返した。

 頭から私を真犯人だと決めつけていました。

 私への事情聴取を終えたら、刑事2人はその足で、私の会社の取引先や従業員にも話を聞きに行った。そして、“王将を食い物にした男”などと書かれた記事を見せ、『上杉はヤクザだから』と触れ回りました。そのうえ、今年1月には、私の京都にある会社が殺人容疑で家宅捜索もされた。

 なぜ、私が“人殺し”の汚名を着せられねばならないのか」

170億円が未回収という「報告書」

 現在、不動産業やゴルフ場経営などを手掛ける上杉昌也氏は、部落解放同盟のドン、故・上杉佐一郎中央執行委員長の異母弟。芸能界にも顔が広く、資金トラブルに見舞われた美空ひばりの最後の後見人でもあった。没後は、遺産相続の一切を取り仕切ったとされる。

 その人物が、突然、「餃子の王将」の大東(おおひがし)隆行社長射殺事件で、スポットライトを浴びることになった。犯行現場近くで発見されたタバコの吸い殻から、九州に本拠を置く暴力団の幹部の関与が浮上。それに伴い、「餃子の王将」を展開する「王将フードサービス」(京都市)が第三者委員会による「調査報告書」を公表した。その内容は、約260億円の資金がA氏に流出し、約170億円が未回収であるというもの。A氏こと上杉氏が事件の黒幕として疑われたのだ。

創業者・加藤朝雄氏との付き合い

「『調査報告書』の内容は、デタラメばかりです。それを明らかにするために、そもそも、なぜ私が『王将』と関わりを持つようになったのかということから説明しようと思います。

『王将』の創業者である加藤朝雄さんと知り合った1977年ごろ、私は福岡の実家から勘当されていました。若気の至りでバクチにのめり込み、借金まみれで親族にも迷惑をかけたからです。兄からも厳しく叱責され、福岡を離れて、京都で通信機の事業を始めていました。

 ある日、『王将』に営業に行き、長靴にジャンパー姿で外を掃除している人がいたので、『社長はいますか?』と訊ねると、『2階におる』と。今度は、2階の事務員に聞くと、『社長は下におる』と。掃除をしていた人が社長の朝雄さんだったわけです。ちょうど、『王将』は本社工場を建築中で、その営業をきっかけに、電話交換機を何百万円分か受注できました。私は“部落”や“同和”という出自を隠したいという気持ちもあって、“上杉”ではなく、妻の姓を名乗っていた。なので、朝雄さんは私の素性をまったくわかっていませんでした。

 ですが、母の死から私の出自は京都で広く知られるようになります。

 79年6月に私の母が亡くなるのですが、その3カ月前に兄が方々を探し回ったすえ、“君のお母さんが危篤だ。すぐに帰ってこい”と私の会社に現れました。

 それから、京都と福岡を行ったり来たりするようになるのですが、兄が、私が京都でお世話になった方々をゴルフ場に招待し、『この昌也は、私の弟です。よろしくお願いします』と、お披露目の場をもうけてくれた。そこには、朝雄さんもいました。それ以降、朝雄さんは私に急接近するようになった。週末などは、仕事が終わると自宅に呼ばれ、ステーキをご馳走になり、一緒にお風呂に入ってから祇園に繰り出しました。朝雄さんはクラブに行くにも作業服に長靴。ネクタイを締めた姿など見たことはない。夜中3時くらいまでお酒を飲んだ後、工場に機械のスイッチを入れに行き、そこで3時間ほど睡眠を取るという生活を送っていました。

 年齢が20も離れていましたが、親しい付き合いが続いた。大腸がんを患い、人工肛門になっても、私と一緒にゴルフを楽しみました。

 93年に亡くなられると、葬儀は臨済宗大本山の天龍寺で執り行われた。私は、友人代表として弔辞を読ませていただきました」

暴力団とのトラブル

「『調査報告書』によれば、私と『王将』との不適切な取引は、朝雄さんの社長時代に始まったことになっている。

 89年、大阪の戎橋(えびすばし)店で火災事故が起こりました。従業員の火の不始末によって、上の階に住んでいた建物の所有者である中国人と、内縁関係にあった日本人女性が死亡した。私が、その遺族との間で、建物の買収交渉をし、1億円の謝礼を手にしたとされている。でも、それは、事実ではありません。

 中国本土から家主の息子が来日し、『王将』相手に訴訟を起こしたことは知っていました。遺族の弁護士が解放同盟の顧問弁護士でもあったため、朝雄さんから『なんとかならんか』と相談を持ち込まれたからです。

 私は、解放同盟の別の顧問弁護士を朝雄さんに紹介し、和解協議が進められることになりました。それだけです。私は、結果がどうなったのかも知りません。

 一方で、『王将』と暴力団とのトラブルには何度か力を貸しました。

 例えば、京都の城南宮店で、女性客が店の前の側溝に落ちて足を骨折し、その夫というのが暴力団員で、朝雄さんは強請(ゆす)られていたことがあった。他にも、店舗から出た廃棄物を不法投棄したと脅されたり、暴力団の息のかかった業者を使えと強要されたりもしていました。反社組織に煽られた従業員が労働組合を結成し、“料理の材料に不純物が入っている”と、『王将』を責め立てたこともあった。

 京都という土地柄、飲食店を展開するには暴力団とのトラブルが付きもので、それらの解決に手助けしたのは事実です。

 だけど、『王将』からは1円たりとも謝礼はもらっていない。

 朝雄さんは、雨に濡れたタバコでも道端に落ちていれば、それを拾って祇園のクラブで吸っていた。あるいは、『これ、使っとけ』と渡された封筒には現金ではなく、大抵、餃子のタダ券が入っていました。それくらいの吝嗇家なのです。

 だいたい、『王将』と私との間で約260億円にものぼる取引を行い、そのうちの約170億円が未回収であるという話の根拠もさっぱり理解できません――」

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【王将社長射殺事件 黒幕と疑われた男の告白(下)】
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特集「『餃子の王将』社長殺人の黒幕と疑われた『美空ひばり』最後の後見人の告白」より

週刊新潮 2016年9月22日菊咲月増大号掲載

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