難病「全身性強皮症」で53歳で急逝したノンフィクション作家 最期の日々を編集者が明かす
追悼 衿野未矢さん
「新潮45」編集部 土屋眞哉
ノンフィクション作家の衿野未矢さんが、この9月17日に亡くなった。53歳。「私はいつまで生きればいいのかな」との手記を頂戴し、小誌「新潮45」10月号で掲載したばかりだった。
膠原病のひとつ「全身性強皮症」で、昨年の秋から闘病生活にあった。この病は厚生労働省の指定難病なんですよ、だから保険もきくんですと、この夏、病床で、衿野さんから教わった。
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新潟県の魚沼は、米のブランドで有名だ。その魚沼に衿野さんが結婚を機に移り住んだのが4年前の春。48歳のときだった。それ以前は新潮社まで2駅のところにお住まいで、衿野さんはマラソンランナーでもあったから(ホノルルマラソンなどにも出場していた)、打ち合わせにはよくジョギングしながらやって来た。汗をかきながら。
ずいぶん前になりますね、そんな会話をベッド脇の椅子に座って交した。7月のことだ。衿野さんから電話をもらったのが6月。声が幾分くぐもっていた。病室なんです、と衿野さんは言った。
5階のその部屋からは、青々とした稲田が見えたことを今、思い出す。衿野さんは元気そうに見えたが、もう何も口にしていないと言った。
〈この2か月の間に食べたものが、ごく少量のヨーグルトとプリンのみという私は、胸に埋め込んだCVポートという器具を通じて送り込まれる、点滴の栄養だけで生きている〉(「新潮45」10月号、以下同)
ベッドの傍らにはキャンディーの袋が置いてあった。ときどき飴を舐めるのが楽しみだと、衿野さんは笑った。
ところがこの打ち合わせのすぐ後、その「CVポート」から感染症を起こし、抜去手術を受けている。
〈いったん抜去して、再び埋め込んだから、現在のは2代目である。病気で血管が弱っているため、3代目の設置は難しいそうだ〉
執筆は、こうした状況の下で進められた。
〈2代目ポートの寿命イコール私の命だ。まだ時間があるうちに、この体験を書き残しておきたい。/ベッドに寝たまま、スマートフォンで原稿を書き始めた直後に、また39度の発熱と寒気が襲ってきた〉
さらには激しい腹痛。痛み止めを点滴しながらの作業となった。
衿野さんから第1稿が届いたのは、8月4日の午前1時過ぎだ。10章、50枚。そして校閲済みのゲラを持って、再び魚沼を訪ねたのは8月29日だった。
衿野さんの手元に刷り上がった「新潮45」10月号が届いたのは、9月16日。記事を確認出来たという。亡くなったのはその翌晩、午後10時14分だった。
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衿野未矢(えりの・みや)
1963年、静岡県生まれ。立命館大学卒業後、出版社勤務を経て書き手に転じる。著書に『十年不倫』『セックスレスな女たち』『“48歳、彼氏ナシ”私でも嫁に行けた!』など。