着物「やまと」会長の“武勇伝” 吉野家会長がバラす
人間長く生きていれば、武勇伝の一つや二つはあるものだが、時に意外な人物が意外なエピソードを持っていたりする。
「日経新聞の『私の履歴書』に目を見張りましたよ」
と経済部記者。
「9月から吉野家ホールディングスの安部修仁会長が執筆していますが、その中に着物の小売で知られる株式会社やまとの矢嶋孝敏会長が登場したんです」
7日付の「履歴書」には、
《東大安田講堂事件で最後に降りた一派の中に今、私が非常勤取締役をしている着物のやまとの矢嶋孝敏会長がいた。》
安田講堂へ続く道。学生運動の面影は今はなく…(イメージ)
やまとは業界大手の一つ。
「矢嶋会長は早稲田大学政経学部を卒業した後、父が創業者のやまとに入社。1988年、社長に就任しました」
その手腕は高く評価されている。
「和装業界では改革の旗手として知られています。就任時、和服といえば、50万円は当たり前でしたが、20万円以下の振袖を発売し、話題になりました。80年代、2兆円弱の市場規模だった呉服業界も今や3000億円を切り、右肩下がりです。その原因は敷居の高さ。やまとは着物セレクトショップをオープンするなど、慣習にとらわれないビジネス展開をしています」
業界の雄が血気盛んな学生時代、安田講堂で放水と催涙ガスにまみれていた。矢嶋会長は当時、早稲田大学1年生。やまとの広報は、
「昔の話なので……」
と言うが、元東大全共闘のさる闘士は、
「最後の一派ということは、屋上近くにいたのでしょう。あの頃は東大生よりも他大学から応援に来た“外人部隊”の方が戦闘的で警察への敵対意識も強かった」
1969年1月19日、バリケードは続々破られる。
「突入されると、みなで肩を組んでインターナショナルやワルシャワ労働歌を熱唱しました。連行される途中には機動隊から殴られましたよ」(同)
講堂屋上で最後まで旗を振っていた学生が取り押さえられたのが、同日18時前。逮捕者は375名にのぼった――。
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