〈「お言葉」を私はこう聞いた〉天皇陛下「2つの戦略」――佐藤優(作家・元外務省主任分析官)

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 8月8日に発表された天皇陛下のビデオメッセージは、現行憲法との整合性について細心の配慮を払った優れた内容だ。

 筆者が注目した点は2つある。

 第1は、天皇陛下が率直に自らの健康不安について述べられていることだ。具体的に天皇陛下は、

「既に八十を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています」

 と述べられた。君主や元首は、健康不安については隠すのが通例である。しかし、戦略的観点からあえて健康不安を開示する例もある。最近では、2013年にローマ法王ベネディクト16世(俗名ラッツィンガー)が健康不安を表明し、719年振りに生前退位した件だ。保守派の神学者として有名なラッツィンガーは、生前退位を復活させ法王が常に健康で世界各地に出張し、カトリック教会を指導することをねらったのだ。

 その上で天皇陛下は、

「天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます」

 と指摘された。今上天皇お一人の問題ではなく、この先天皇陛下に健康不安が生じた場合、現行憲法では日本国と国民統合の象徴であるが、より本質的には日本国の祭司としての機能を天皇陛下が十分に発揮できるシステムが必要ということだ。

 第2は、重病などの場合に天皇の機能を代行する摂政の設置に天皇陛下が消極的なことだ。この点について天皇陛下は、

「(摂政を置いた場合も)天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません」

 と述べられた。摂政の設置に否定的なニュアンスが強く打ち出されているのは、天皇自身が公務を行うのが国家の正しいあり方であるとの天皇陛下の想いが強いからであろう。

 天皇陛下が御意思を滲ませることができるのは、現行憲法上、これが限界だ。ここから先は、天皇陛下の御活動や御発言に助言と承認を与える内閣の機能になる。天皇陛下のお言葉から滲み出ている雰囲気を受けとめた、国民の圧倒的多数の民意を踏まえても、天皇陛下の生前退位を可能にする皇室典範の改正を可及的速やかに行わなくてはならない。

 その場合、現在の皇太子殿下が天皇陛下になられた後の、皇太子についても定める必要が出てくる。この関連で、女帝論、ならびに女帝が誕生した場合、女帝の子どもが天皇陛下になられることが可能であるかについて、皇室儀式、神道、歴史、法律の専門家などが、今回の天皇陛下の御発言と国民世論の動向を踏まえた上で決めなくてはならない。安倍晋三首相を熱烈に応援する人々の間には、女帝論、女系論に対して強く反発する人々も少なからずいる。この人々との調整が安倍政権にとって重要な課題になるであろう。

 安倍政権は、参議院で与党と改憲勢力の議席数が3分の2を超えて、憲法改正が可能と考え始めていたのであろうが、突然、皇室典範改正の問題が国家の重要事案となったために、憲法改正問題は後景に退くであろう。

 共産党は、天皇制を打倒し共和制に日本を転換することが基本的な政治目的だ。公明党は、支持母体の創価学会の牧口常三郎初代会長と戸田城聖第2代会長が治安維持法違反と不敬罪の容疑で逮捕されたことがある。しかも牧口氏は獄中で死亡した。過去に天皇制との関連で特別の事件があった共産党と、歴史的経緯で天皇制との関係に理論的な整理が求められる公明党は、皇室典範の改正に伴って天皇制と自党との関係について立場を明確にしなくてはならない。関係者以外には、深刻に見えないかも知れないが、共産党と公明党にとって皇室典範の改正問題は党のレゾンデートル(存立基盤)にかかわる重要問題なのである。

「特集 天皇陛下『お言葉』を私はかく聞いた!」より

週刊新潮 2016年8月25日秋風月増大号掲載

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