ベイカー茉秋、1日7食の肉体改造 スポーツ女子との破局も
柔道家、ベイカー茉秋(本人のツイッターより)
〈常夏色の夢追いかけて あなたをつかまえて泳ぐの わたし裸足のマーメイド 小麦色なの♪〉。まだ20歳だった松田聖子がせつない音調で歌い上げた「小麦色のマーメイド」。そこでは若いカップルのうたかたの恋が描かれた。本項のヒーローにも人魚に擬せられた恋人がいた。彼女にすれば、彼氏が競泳選手なら恋は成就したのか。だが如何せん、彼の闘いの舞台は水上ではなく畳の上だ。恋よりも五輪の夢を追いかけた柔道家、ベイカー茉秋(ましゅう)(21)、見参。
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見事、90キロ級で金メダルを獲得したベイカーは、米国人の父と日本人の母を持つハーフ。今でこそ身長178センチ、筋骨隆々の体躯を誇るが、少年時代は華奢な男の子だったという。彼が6歳の時に門を叩いた講道館道場の指導部課長、向井幹博氏はこう振り返る。
「中学3年までの9年間、指導しましたが、最初の印象は、とにかく“体が小さい”。身体能力はずば抜けており、剥きだしの闘争本能も激しくて、すぐに軽量級で東京都のチャンピオンになりましたが、体はなかなか大きくならなかった」
中学生になっても身長は150センチ、体重は50キロほどだった。
「お父さんは体の大きな白人でしたが、お母さんは体の小さい方。母親の遺伝子を強く受け継いだのだなと思っていました。講道館時代の彼は自分の体の小ささと戦っていたんです」
そこでベイカーが取り組んだのが肉体改造だった。中学に入ると、北京五輪の金メダリスト、石井慧がトレーニングしているジムとして知られる東京・御徒町の「サンプレイ」にも通い始めたのだ。会長の宮畑豊氏が述懐する。
「ベイカー君は石井に憧れ、目標としていた。僕が石井のトレーナーを務めていたので、“宮畑さんに教わりたい”と訪ねてきたのです。鍛えたのは、特に腕力と握力。肘を曲げるハーフレンジの懸垂なら、150回を5セットこなす。握力は90キロほどになり、リンゴを簡単に握りつぶせ、背筋力に至っては300キロもある」
■悲恋の代償
高校は東海大浦安に進む。柔道部の竹内徹監督が語る。
「入学時もまだ一番軽い階級でしたが、強く柔らかい稀有な筋肉の持ち主だった。体が大きくなれば、大化けするという直感があったので、私はベイカーに“体重を増やせば増やすほど、絶対強くなる”と助言しました。彼はこれを素直に受け入れ、自ら『1日7食』の目標を設定したのです」
学校近くの炉端焼きが行き付けで、
「ほとんど毎日、顔を出してくれました。注文は、決まってローストビーフ丼の大盛り。足りない時は、肉だけさらに乗っけたり、サンマの塩焼きなどを追加で注文していました」(店主)
サンプレイや高校での鍛錬に加え、「1日7食」の甲斐あり、高3の時にはついに体重が現在の90キロに達したのである。その後、東海大に進学。柔道部仲間が秘話を明かしてくれた。
「着るものには無頓着で、ジャージや短パン姿が多いのですが、ハーフなので、どんな格好でも、様になる。英語を話せる日本人の彼女もいました。東京の女子大生で、小麦色の肌が印象的なサーファー風、スポーツ女子という感じの女の子でした。でも数年前、金メダルを獲ると公言し始めた頃に別れてしまったんです」
「小麦色のマーメイド」との破局の真因は知る由もないが、五輪が何より優先されたからか。今般の栄光は、肉体改造と悲恋の代償の果てにもたらされたのである。
「ワイド特集 やがて哀しき『リオ五輪』」より