天下分け目の関ヶ原に参戦した、93歳の武将がいた!
大河ドラマ「真田丸」がいよいよ天下分け目の関ヶ原の合戦を迎え、その緊張感も最高潮だ。
また、司馬遼太郎『関ヶ原』(新潮文庫)が来年映画化されることが発表され話題騒然となっている。原作は累計580万部を超えるロングセラーだが、映画では、V6の岡田准一が石田三成役の主演をつとめる。
大河ドラマ「真田丸」で、山本耕史が重みのある石田三成を演じていることもあり、三成は、今最も注目を集める戦国武将となっている。
にわかに注目を集める関ヶ原だが、東西両軍あわせて10数万人が戦ったという戦場に、なんと93歳の弓の名手がいたということをご存じだろうか。その名は、大島光義。関ヶ原に参戦した武将は数え切れないが、その年齢と鉄砲全盛の時代に弓ひと筋を貫いたことで、異彩を放つ人物だ。
近衛龍春による歴史小説『九十三歳の関ヶ原 弓大将大島光義』によると、1508年美濃国生まれの光義は、孤児から弓の腕前で身を立て、信長に重用されたが、そのときすでに還暦をすぎていたというから驚くほかない。
信長亡き後も秀吉、家康と天下人三代に認められ、1万8千石の大名となり、戦国時代を生き抜いて江戸時代にさしかかった1604年97歳で没した。
その弓の技は、『丹羽家譜伝』に「百発百中」と記され、その働きを讃えた信長によって「雲八」という名前を与えられたという。
天下分け目の合戦は小説『九十三歳の関ヶ原 弓大将大島光義』でも詳細に描かれる。本作で、大島光義が、関ヶ原の戦いの功績をもって、家康に真壺と大鷲を与えられたというエピソードが 出てくるが、著者の近衛によると、これは「『新訂 寛政重修諸家譜』にあり、史実と思われます」という。
大河ドラマ「真田丸」で戦国時代にはまった人には、こんな知られざる戦国武将に注目してみるのもおもしろいのではないだろうか。
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