日本最大の総会屋「論談」正木元会長が死去 企業社会の黒幕
「いまなんじ」。城山三郎の名作『総会屋錦城』の主人公・内藤錦城が今際(いまわ)の際に聞いたのは時間だった。最後まで株主総会の進行具合を気にする老総会屋。一方、臨終の床にあった「論談同友会」の元会長・正木龍樹(たつき)氏の瞼に去来したものは――。
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企業社会の裏側を仕切った黒幕が、また1人舞台を下りた。(※イメージ)
最盛期、1700人以上いた総会屋のなかで、正木氏は異色な存在だった。『日本最大の総会屋「論談」を支配した男』(青志社)の著者・大下英治氏が振り返る。
「総会屋とはお金をもらって企業を守ったり叩いたりする仕事です。ところが、岡田茂元社長が愛人の竹久みちと会社を食い物にした“三越事件”で、正木氏は自腹を切って不正を徹底的に調べ上げた。普通の総会屋はやらないことです」
もう一つ、他と違ったのは鉄の規律を誇ったことだ。約40人いたメンバーの多くをマンションに住まわせ、朝は7時の朝礼と「社歌」の合唱。夕方5時に再びメンバーが集まると報告会が開かれる。一匹狼が多い世界にあって、組織で情報を取る「論談」には毎日100件以上の情報が集まった。それを求めて企業の総務担当者が引きも切らずに訪ねてきた。それだけに正木氏を味方にすれば企業にとって心強い“ガード役”となった。なかでもANAの若狭得治元会長との仲は特別で、2人の会食を「FOCUS」に撮られたことも。
「正木氏は銀座で騒ぐこともない。その代わり派手だったのが、年1回、東京プリンスホテルなどで開くパーティーです。そこに住吉会のヤクザや企業の担当者が集まるという異様な光景でした」(同)
一方で正木氏は、海外の企業にも目を向ける。
「論談」の元幹事・政田幸一氏(「Web論談」編集責任者)によると、
「当時、欧米の株主総会は開かれているとの評判でした。“それなら見に行く”と正木が言いだしたのです。海外の株を買い付け、私はITT(米大手通信会社)に出席すると通知した。そうしたら“ソーカイヤがやって来る!”と現地で大騒ぎ。結局、15年間でのべ70社以上の外国企業の総会に出席しましたが、欧米の企業も、うるさい株主が苦手なのは同じというのが正木の結論でした」
■3大テノール
1982年、商法改正で総会屋への締め付けが厳しくなると、正木氏はスポーツ大会などイベント事業に乗り出す。サッカーの「JAL94レコパ・サウスアメリカ」を招致し、日本で初めて3大テノールを呼んだ。
中国との交流もこの頃からである。
「勉強家の正木は事務所に商法など約2000冊もの本を置いていました。その蔵書リストを作って贈りたいと学校や図書館に打診したら、北京大学に欲しいと中国大使館が言ってきたのです。当時の公使は唐家セン(後の外交部長)でした」(同)
以来、正木氏は毎年本を寄贈し続け、99年には北京大学から名誉校友の称号をもらう。だが、すでに総会屋の時代は終わりを迎えていた。
2001年には「論談」を解散し、正木氏は都内のマンションに引っ越す。肝硬変と糖尿病で体はボロボロだった。倒れたのは6月24日のことである。
「すぐに東海大病院に入ったのですが、7月2日の昼、急性腎不全でスーッと息を引き取りました」(同)
享年74。企業社会の裏側を仕切った黒幕が、また1人舞台を下りた。
「ワイド特集 真夏の夜の夢」より
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