「警視庁」遺体発掘失敗は「死刑囚の告白」を放置したバチ

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 闇から闇に葬られていた複数の殺人事件。「死刑囚の告白」を受け、警視庁は7月に入り、埼玉の山中で2件目の被害者の遺体発掘に着手した。しかし捜索は不首尾に終わり、本部には厭戦ムードが漂う。捜査放棄から捜索失敗と、当局の失態、迷走はいつまで続くのか。

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捜索着手も未だ斎藤の遺体は発掘できず……

 四方の林道から辿れる山深い峠。その広く開けた空間には茶屋があり、閉店後の夜半も店頭のぼんぼりに仄かな明かりが灯っていた。

 深更、この山頂に一台の車が現れた。青色のソアラの車内には2人の男が乗り、周囲を警戒している。その時、助手席の男の携帯電話が鳴った。掛けてきた相手は野太い声で、

「どうなった。“品物”は始末したのか」

 車中の男は若干辟易した様子で、心配は無用と諫める。もとより彼らが警戒心を滲ませているのは、トランクにその“品物”を積んでいるからに他ならない。

 ソアラは再び動き出し、1本の山道をゆっくり降りていく。林道を左に右に幾度か折れながら、数キロ走ったところで、車は停車した。近くに人の気配がないか辺りを窺った後、男たちは右カーブの林道からガードレール脇の山の斜面に向け、布団袋にくるまれた“品物”を放り投げた。

 彼らは数日前にすでにこの斜面を穿ち、必要な穴を用意していた。布団袋を穴の近くまで引き摺り、紐を解く。中の“品物”はさらに毛布に包まれていて、それを剥ぐと、すでに魂が抜け、肉塊と化した、むくつけき男の亡骸が現れた。

 2人はぽっかり開いた穴に死体を放り込んだ。そしてブナの木々の合間からかすかに漏れてくるログハウスの灯りを眼下に見ながら、死体の上に土砂をかけていく。こうして死体を完全に土中に埋めると、その表面を木の葉で覆い隠した。

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 それから18年余り後……。警視庁は、死体を遺棄した2人の男の証言から、その遺棄場所の特定に努めてきた。そして有力な候補地として、秩父と飯能に隣接した埼玉県ときがわ町の高篠峠に狙いを定める。数台の警察車両に分乗した60人ほどの捜査員がこの峠に集結したのは、7月6日午前10時過ぎのことだった。長い年月の経過とともに、周囲の景観は変容したのか、すでに峠の茶屋もその礎石のみを残し、姿を消していた。

 確定死刑囚が獄中から、警察も把握していなかった複数の殺人を告白した前代未聞の“自白劇”。この4月、警視庁が死体遺棄役の証言に基づき、1件目の事件の被害者の遺体を、神奈川県伊勢原市の山中で発見したのはご承知の通りだ。

 当局は2件目の被害者の死体遺棄場所についても、ときがわ町の山中でおおよその見当をつけた。峠を少し下った林道脇の急斜面で遺体捜索に着手したのである。もっとも斜面には重機は入れられず、作業はスコップやシャベルなどを使った手掘りとなった。60人態勢で2日間にわたり捜索は続いた。土を掘り返した範囲は、100平方メートル以上に及ぶ。しかし、泥に塗れた汚れ仕事の甲斐なく、当局は遺体を発見するには至らなかったのである。

 捜索失敗の裏には何があったのか。それを詳しくお伝えする前に、この「死刑囚の告白」事件の概要を振り返っておきたい。

「私は発覚している事件以外にもたくさん、人を殺めています。全ての垢を落としてから、刑に臨みたい」

 前橋スナック銃乱射事件(2003年発生)の首謀者として、一昨年3月、最高裁で死刑が確定した、指定暴力団、住吉会の元大幹部、矢野治(67)は弁護士との面会でこう心情を吐露していた。後述するが、事実、ほどなくして彼は警視庁に宛て、2件の殺人(下図参照)を告白する手紙を送ることになるのだ。

闇から闇に葬られていた複数の殺人事件

 闇から闇に葬られていた殺人事件の最初の被害者は、不動産業者の津川静夫さん(1996年の失踪時60歳)である。津川さんが所有する伊勢原駅前の土地が再開発で10億円もの資産に高騰。彼に金を貸していた住吉会系組織の若頭がこの土地を奪おうと目論み、矢野に殺害を相談した。共謀の結果、矢野がこれを別の住吉会系の組長に依頼。津川さんは、その配下の組員に絞殺された。

 そして今回、捜索の対象とされた2件目の被害者は、97年、政界を揺るがした事件のキーマンとして、社会の耳目を集めた人物だった。現役の国会議員が多くの国民から多額の金を騙し取った「オレンジ共済事件」。これに絡み、当該議員の参院選比例名簿順位を上げるべく、5億円もの金を新進党に運び、政界工作を仕掛けたといわれる斎藤衛(失踪時49歳)である。“永田町の黒幕”と呼ばれた彼は、2度にわたり、国会に証人喚問された。

 一躍、“渦中の人物”となった斎藤の本当の正体は、稼業名「龍一成」を名乗る、住吉会系暴力団の企業舎弟だった。矢野は彼に億単位の金を融通していた。そのうち8600万円が焦げ付いたことを機にトラブルとなり、98年4月、自らの手で絞め殺したという。

 矢野の指示を受け、彼らの死体を遺棄したのは、いずれも、矢野が率いた組織「矢野睦会」の元組員、結城実氏(仮名)だった。

■「重大告白」にも捜査放棄

警視庁を揺るがす矢野治・死刑囚の告白

 不可解なことに、当初、警察はこの捜査に消極的だった。それどころか、矢野の告白を隠蔽しようとしていた節すらある。

〈この処、毎晩のようにリュー一世(斎藤衛)の夢で苦しんでおります。(中略)一日も早くリュー一世を穴から出してやって頂きたくお願いを申し上げます〉

 この斎藤殺しの“告白の書”を、矢野が警視庁目白警察署に送ったのは一昨年12月のことだった。しかし警察は本格捜査に乗り出さない。痺れを切らした矢野は、年が明けた昨年5月、今度は津川さん殺しを告白する手紙を、関係先を管轄する渋谷警察署に宛てた。

 ところがここでも当局は彼の自白を完全に無視した。つまり警視庁は一昨年末以降、1年数カ月に亘り、事案を放置していたわけだ。これでは重大な告白を闇に葬ろうとしていたと疑われても仕方あるまい。住吉会関係者が苦笑する。

「そもそも警視庁は、龍(斎藤)が謎の失踪を遂げた時、最後に会った人物が矢野ではないかと疑い、彼から事情を聴いている。その時、追及をかわされているので、今回、再捜査すれば、当時の捜査ミスの恥を自ら晒すことになる。しかも矢野の告白の動機が、新たな事件の立件による、死刑執行の先延ばしにあることは明白です。こんな奴のために、苦労して穴掘りなどしたくないというのが、本音だったのでしょう」

 それは矢野も織り込み済みだった。警察が告白を握り潰すことを恐れ、本誌(「週刊新潮」)にも同じ“告白の書”を送っていたのである。

 この間、我々は結城氏に接触し、事件の全容を明かすよう、説得を重ねた。結果、彼は重い口を開き、こう証言してくれたのだ。

「矢野の親父から指示を受け、池袋の暴力団事務所に行くと、檻の中に監禁された龍一成(斎藤衛)の死体が横たわっていた。木村洋治(仮名)という組員と一緒に遺体を車で埼玉まで運び、山中に遺棄しました」

 今年2月の本誌の第一報を受け、警視庁は捜査放棄を糊塗すべく、慌てて結城氏への任意聴取に取りかかり、現在に至ったというのが実際の顛末なのである。

■★印を掘られたし

 ともあれ、結城氏の証言で、津川さんの遺体が発掘できたのは、彼自身が遺棄現場まで車を運転し、場所を明確に記憶していたからだ。翻って、斎藤についてはどうか。彼はその死体遺棄にも関わったが、如何せん、車を運転していたのは、木村の方だった。20年近い年月の経過もあって、結城氏の記憶は不鮮明となり、本誌や警察を遺棄現場にピンポイントで案内することができずにいたのである。

 そこで警視庁は、別件の銃刀法違反罪などで現在、刑務所に服役中の木村への事情聴取を重ねた。その結果、遺棄場所の可能性の高い土地として浮かび上がったのが、今般のときがわ町だったというわけだ。実は6~7日の捜索時、現場には案内人として立ち会う木村の姿があった。

 しかし彼の協力が得られながらも、その証言では斎藤の遺体を掘り当てることはできなかった。もとより人の記憶は時間の経過とともに薄れ、風化するものである。捜査関係者が嘆く。

「一般的に事件は発生から時間が経てば経つほど、解決が困難になる。端緒があれば、すぐさま調べるのが、捜査の鉄則です。警察学校で習うイロハのイですよ」

 警視庁が矢野の自白を無視し、捜査放棄で1年数カ月もの月日を無駄にしたのは痛恨の極みで、あまりに大きな痛手だった。捜索失敗は自らの愚行が招いたバチと言うほかあるまい。

「担当の組織犯罪対策第四課のある幹部は“まだ諦めていない。態勢を立て直して、遺棄場所の特定に努める”と言っています。しかしこれは表向きの発言で、実際、捜査本部には厭戦ムードが漂っている。そもそも捜索当日、記者から“遺体が見つかりそうな予感はありますか?”と訊かれ、“あるわけないじゃん”とやる気のなさをあからさまにしていた幹部もいるほどですから」(同)

 結城氏が眦(まなじり)を決して語る。

「実は今回の捜索場所は、私も警察から“木村が示した場所なので、確認してほしい”と要請され、5月に一緒に足を運んだ所です。もっとも一目で違うと思い、“ここを何日掘っても、龍は出てこないですよ”と伝えていた。木村が証言した山の斜面は角度があまりに急すぎる。あれほど急な斜面だと、場所の選定時に選んでいませんよ。しかも私たちが龍を埋めた時、50メートルも離れていない場所にログハウスの灯りが見えたが、捜索した場所の近くにはそれらしい建物がない。そもそも今回の捜索が本気だったら、2日間だけで打ち切るものですかね。4~5日かけて、可能性のある場所を集中的に掘るべきです」

 もっともな意見である。そこで老婆心ながら、本誌は高橋清孝・警視総監以下、警視庁で本件を担当する幹部のお歴々に提言したい。

 仮に遺棄現場が、木村の証言通り、高篠峠から下った山中だったとしたら、本当に可能性のあるのは、捜索した場所ではない。上の地図をご覧いただきたい。×印が今回の捜索現場だ。そこからさらに3キロほど山道を下ると、麓の集落に出る手前に、右カーブの場所が2カ所ある(★印)。その林道脇の緩やかな山の斜面からは、かすかにログハウスの灯りが見えるのである。

 仕切り直しにどれほどの時間をかけようとしているのか知る由もないが、ダメでもともとである。もし捜査を尽くし、責務を果たす気構えがあるなら、明日にでもこの2カ所を掘り起こしてみてはどうか。

「特集 『警視庁』遺体発掘失敗は『死刑囚の告白』を放置したバチ」より

週刊新潮 2016年7月21日参院選増大号掲載

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