ポテチの王者カルビーに挑む、湖池屋のスゴ腕社長

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 薄さ0・3ミリの世界にも熾烈な争いがある。ポテトチップスの市場規模は約900億円。目下、国内シェア73%を占めているカルビー。そこで“王者”の牙城を切り崩そうと、湖池屋が送り込んだのは“伝説の辣腕”だった。

ポテチでも伝説を築けるか

 湖池屋を傘下に置くフレンテは6月21日、9月28日付で創業者・小池和夫氏の長男である小池孝社長(59)の会長就任と、佐藤章執行役員(57)の社長昇格、そして社名を湖池屋に戻すことを検討していると発表した。食品業界アナリストによれば、

「佐藤さんは、今年3月末までキリンビバレッジの社長だったのです。部長代理時代に大ヒット商品を生み出し、収益悪化に喘いでいたキリンビバレッジ復活の“立役者”でした」

 佐藤氏が缶コーヒー「FIRE」を世に送り出したのは1999年のこと。

「当時、ネーミングには濁音が付き、容器は青色というのが缶コーヒーのヒットの条件だった。佐藤さんは、その“常識”を無視して銀色の缶を採用し、直火焙煎という製法を前面に打ち出した。CMに起用したスティービー・ワンダーも、彼自身が渡米して口説き落としたのです」(同)

 FIREは発売後わずか4カ月で、出荷1000万ケースを達成。この年のナンバー1商品に輝き、業界8位に低迷していたキリンビバレッジを3位に押し上げた。また、佐藤氏はその翌年にも“生茶”を大ヒットさせている。初年度2250万ケースを出荷し、緑茶飲料のシェアを9%から23%にまで拡大。シェア28%でトップの伊藤園に迫るまでに導いたのだ。

「彼の成功の“原点”は、入社後の8年間でしょう」

 こう分析するのは、ライバルメーカーの幹部だ。

「早稲田大学法学部卒業後、キリンビールに入社した佐藤さんが最初に配属されたのは関東支店の群馬県担当の営業。花形とは言えないが、彼は腐らずに酒屋やスーパーはもちろん、販路を広げるためにゴルフ場やスキー場などにも足を運び、1年間の訪問先が2400カ所という“伝説”を作った。その時に顧客ニーズを嗅ぎわける能力が身に付いたのだと思います」

■莫大な赤字

 佐藤氏は大ヒット連発でキリンビール本社に戻されて、その後もトントン拍子で出世。07年にキリンビール営業本部マーケティング部長、11年九州統括本部長などを経て、2年前にキリンビバレッジの社長に就任したが、

「佐藤さんが社長に就任する前、キリンビバレッジは業界5位に甘んじていました。そこで高級ビールのヒットに倣って、1本216円のコーヒーやお茶の“別格”を販売したが、消費者には受け入れられずに大コケ。結果、昨年12月期決算では3083億円の売り上げに対して、約46億円の赤字を出してしまいました」(同)

 莫大な赤字を出したことで、佐藤氏も経営責任を取らされた。が、フレンテの株を3割保有する日清食品ホールディングスが、彼の商品開発とマーケティング能力を評価して、5月16日付で執行役員に迎え入れたばかりだった。経済誌の食品担当記者の解説では、

「日清は国内の即席麺市場でシェア50%に迫る“巨人”だが、他の事業はパッとしない。そこでスナック菓子を第2の柱と考えて、佐藤さんを“湖池屋”に送り込んだわけです」

“伝説の凄腕”に秘策はあるのか。

「湖池屋の主力商品はポテトチップス“のり塩”とすっぱムーチョ、カラムーチョくらい。一方、カルビーは40種類以上のポテトチップスを発売して、コンビニの棚を埋め尽くしている。佐藤さんがこの違いをどう捉えて、勝負に出るかでしょう」(同)

 佐藤氏の趣味は、40代から始めたゴルフ。ベストスコア68とこちらも辣腕だが、しばらくはグリーンに出られそうにもない。

週刊新潮 2016年7月7日号掲載

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