群れない、媚びない、靡かない。 広島人気質の究極は「有吉弘行」──いま、広島が熱い!(6)

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 日経新聞広島支局長で新潮新書『広島はすごい』の著者、安西巧氏は、広島人の気質を「群れない、媚(こ)びない、靡(なび)かない」と評している。

 別の言い方をすると、強いものに付和雷同せず、自分の持ち味を自力で徹底して磨く「独立不羈(ふき)の精神」が広島人の気質ということになる。

 確かに、その指摘を踏まえると、「ああ、あの人も広島人だったのか」と納得できる人が多い。

 ミュージシャンなら、吉田拓郎、奥田民生、矢沢永吉、吉川晃司などは、まさに「群れない、媚びない、靡かない」イメージだ。「3人組アイドルながら音楽はテクノ」という独自の地位を築いたPerfumeも、広島弁でのトークが売りである。大河女優にもかかわらず、実家の農家で農作業するのが大好きと公言している綾瀬はるかからも、広島人っぽさが伝わってくる。

 スポーツ界なら、常時フルスイングで昨年トリプルスリーを達成したソフトバンクの主砲、柳田悠岐あたりが代表だろう。陸上界の練習の常識を打ち破って、箱根駅伝連覇を達成した青山学院大学陸上競技部監督・原晋にも、広島人気質が濃厚に感じられる。

 もうひとり、広島人気質を濃厚に発している著名人がいる。ツイッターのフォロワー数日本一、いま最も売れている芸人の「有吉弘行」である。

低迷期にも出続けた広島の番組

 有吉が、同じ広島県安芸郡熊野町出身の森脇和成と結成した「猿岩石」は、1996年に日本テレビ「進め!  電波少年」が企画したロンドンまでのヒッチハイクの旅で全国的な人気者となった。CDデビューまで果たしたが、ほどなくして人気は白い雲のように消え、コンビは2004年に解散となった。

 ピーク時2000万円だった月収は、歩合制のためゼロになることもあるほど落ち込んだ。貯金を切り崩して糊口をしのぐ日々。有吉は当時のことを、「仕事もないし金もないから、ほとんど外に出ないで家に閉じこもっている引きこもりみたいな生活をしてた」と語っている(著書『お前なんかもう死んでいる』双葉文庫)。著書を読むと、この時期には、オネエ芸人としての再出発を考えたり、唐突に漫画家への転身を図ろうとしたり、自殺することまで考えたりと、だいぶ人生をこじらせていた様子がうかがえる。

 ただ、この間も中国放送(RCC)の深夜番組「KEN-JIN」には出演していた。この番組は、広島では知らぬもののないRCCアナウンサーの横山雄二が企画・立案したバラエティで、深夜にもかかわらず平均6%の視聴率をたたき出す人気番組だった。

 横山は、人気の落ちた有吉に「そんなんじゃ売れない」とツッコミを入れつつ、起用し続けた。

 その有吉が復活してきたのは2007年頃である。「あだ名づけ」の芸と毒舌で笑いを取るようになり、バラエティ番組で人気が徐々に復活。2011年には499本の番組に出演して「テレビ番組出演本数ランキング」で1位となり、その後は自身の冠番組をキー局で何本も持つ売れっ子タレントになった。

 確かに、有吉の言語センスには、一種独特のカンの良さがある。最近だと、学生時代の銀座勤めが問題視されて内定取り消し騒動に見舞われた民放アナウンサーに「はれもの」と命名し、日本中に笑いとカタルシスを同時にもたらしたりしている。

 ただ、有吉本人は「正直言うと、『1位』にはなりたくなかった」と前出の著書で書いている。トップの座を明け渡した後に「あの時は1位だったのに」と言われるのが面倒だから、というのが理由だ。「上昇志向とか一切捨てた方がいい」「頑張ろうとか一切無駄です」「地方の田舎のお山の大将でいい」などという有吉語録には、広島人らしい「群れない、媚びない、靡かない」精神が濃厚に感じられる。

 有吉は2012年から広島観光大使を務めているが、当時のポスターに記されたキャッチフレーズは「おしい! 広島県」。このセンスもまた、実に広島っぽい。(文中敬称略)

デイリー新潮編集部

2016年6月27日掲載

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