迫り来る財政破綻は回避できるか〈医学の勝利が国家を亡ぼす 第7回〉

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 空前の少子高齢化により、社会保障費は勢いよく膨らみ続けている。そのうえ無尽蔵であるかのごとく医療費を使っていれば、やがて破綻する。それを回避するために財務省は、厚労省は、手を打てているのか。子や孫のために、われわれにできることはないのか。

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 病気やケガの際に保険証1枚で、だれもがいつでも医療機関で手当てを受けられる――。日本の「国民皆保険制度」は世界で最も充実しているといわれ、事実、2000年にはWHO(世界保健機関)から「世界一」と評価されている。おかげで、われわれは空気を吸うように医療を享受しているが、この制度が破綻の危機に瀕している。それどころかもっと大きな破綻が、そこまで迫っているという。

「2020年代初めに国が破綻することも、十分に考えられます」

 財務省のOBでもある法政大学経済学部の小黒一正教授は、そう警鐘を鳴らして、「破綻」にいたるまでの道筋を説明する。

「2015年度の社会保障給付費は全体で116兆8000億円で、その内訳は年金が五十数兆円、医療費が約40兆円、介護費が約10兆円、残り約15兆円が生活保護費などでした。05年には全体で約90兆円でしたから、10年で約26兆円増えています。そのうえ厚生労働省の見通しによれば、団塊の世代が後期高齢者になる2025年ごろには、医療費と介護費の合計が約75兆円と、今より25兆円増えるといいます」

 進み続ける空前の少子高齢化によって、財政の悪化に拍車がかかっているのだが、それでも消費税が予定通り引き上げられれば、まだよかったという。

「ところが2年半先延ばしにされ、辛うじて存在していた財政再建のフレームが崩壊してしまった。まな板の上で瀕死状態だった鯛にとどめを刺したのが今回の増税延期です。これで通常の財政再建は厳しくなった。東京五輪が開催される2020年の財政収支は、消費税が予定通りに引き上げられても6・5兆円の赤字予測でしたが、8%への据え置きで11・5兆円の赤字への悪化が予測されている。加えて五輪後には揺り戻しの景気後退で税収が減り、団塊の世代が徐々に後期高齢者になっていきます」

 その先には破綻もありうるというのだが、どうやって破綻するのか。小黒教授の話を続ける。

「13年に始まった量的緩和は、要は国債を日銀に押しつける政策です。14年10月に、年間50兆円だった日銀の国債受け入れを80兆円に拡大。このままいけば18年には、国債全体の半分近い約350兆円を、20年代前半にはすべての国債を、日銀が持つことになります。しかしマイナス金利政策下では、国債を抱える日銀は損をし続ける。そして日銀が国債を受け入れられなくなったとき、必要額の国債が入札されなくなって財政が破綻します。三菱東京UFJ銀行はプライマリーディーラー(国債市場特別参加者)から離脱する方針を示していますが、民間銀行が長期国債の不良債権化を懸念している証拠です」

 それは同時に、われわれの子や孫が、まともな医療を受けることができない社会の到来を意味している。

 消費増税が延期されたインパクトについて、もう少し触れておきたい。

「今後の日本の財政に、財務省や厚労省の人間は、ものすごい危機感を持っています。ショックだったのは、税と社会保障の一体改革をあれだけ国会で議論してきたのに、増税延期になってしまったこと。国民の間で危機意識が共有されていないと嘆いています」

 そう話すのは、さる厚労省の現役官僚。元厚労副大臣で自身も医師である鴨下一郎代議士も言う。

「私は3党合意の実務者でした。社会保障を持続可能なものにするには、消費税率を10%に上げても十分ではない。そこで国民皆保険をどう構造改革するか。そんな話を与野党合意のなかでやってきました。増税を延期してもなんとかなるという楽観論があるのでしょうが、そうはいかない。同じ社会保障費でも、年金は数理計算で入ってくるお金と出ていくお金だけの話だから、決着をつけやすい。でも医療は利害関係者も多く、想定していなかったような高価な新薬が出てきたりします。コストがかかることばかりなんです」

■帳尻合わせでは限界がある

 医療費の制御が難しい理由を別の言葉で訴えるのは、厚労省出身で現在は外科専門医である、日本医療政策機構エグゼクティブディレクターの宮田俊男氏だ。

「医療費をコントロールしにくいのは、日本の保険制度が“フリーアクセス”かつ医療を直接提供する“現物支給”だからで、医療費を適正化するにはなんでも大学病院にかけこむようなフリーアクセスを適正化することが大事です。今、国民健康保険は約1700もの市町村がそれぞれ管理していますが、2018年度から都道府県単位の管理に変わる。財務省は一番効率的な県の医療費に全国を均(なら)そうと考えているようです。また現状では、病院は患者ではなく保険者に医療費を請求するわけですが、保険者が力を持って“そういう医療費は払いたくない”と言えるような、保険者の強化策が必要だと思います」

 ともあれ、今後も増える高齢者が同じペースで医療費を使い続ければ、いずれ破綻してツケは次世代に回る。だからこそ早く手を打つ必要がある。そういう危機意識は、さすがに政治家、官僚、そして医師の間にも醸成されているようだ。

 財務省の意識を問うと、主計局厚生労働係は次のように回答した。

「2020年代初めには団塊の世代が後期高齢者となり始めるなど、急速に高齢化が進み、医療費は大きく増えると見込まれます。加えて画期的な新薬の開発など医療の高度化により、その伸びはさらに加速する可能性がある。それに伴って患者負担、保険料負担は上昇します。医療費財源の約4割を負担している財政は、一般会計の4割を国債で賄うなど、多くを将来世代へのツケ回しに頼っていますが、医療保険制度を今後も持続可能なものにするには、給付の伸びを抑制することは避けられません」

 前出の鴨下代議士は、

「来るべきときが来たな、と思っています」

 と切り出して、続けた。

「日本が維持してきた国民皆保険は、先端医療もできるだけ保険に収載し、給付していこうという、非常にすぐれた制度でした。しかし、いよいよ限界が見えてきた。すごく製造コストがかかる薬も登場し、今後もそういう薬が増え続けたとき、すべて保険で給付できるのか。国民のみなさんと議論しなければいけない時期にきたと思います」

 続いて、日本医師会の横倉義武会長の意見である。

「患者さんにとって日本ほど医療にかかりやすい国はない。医療提供のあり方と保険制度がマッチしています。ヨーロッパにもイギリスなど医療制度が充実している国はありますが、診療をお願いしてもすぐに診てもらえないことが多い。しかし、日本はこのままでは皆保険制度を継続できない。私はそういう危機意識を持っています。公的医療保険の継続性を維持するために、薬価の決め方、医療費の決め方を見直さなければなりません。経済が大きな成長を見込めない現状では、医師一人ひとりもコスト意識を持つべきだと考えます」

 そして少しは成果が表れていると、こう続ける。

「2011年に税と社会保障の一体改革が話し合われたとき、15年度の医療費の推計は45兆2000億円とされていました。それが少しずつ伸びが抑制されて、実際には41兆6000億円ほどに抑えられた。医療側もコストを意識し、抑える努力をした結果が出たのだと思います」

 だが、繰り返すが、破綻は間近に迫っている。医療費の伸びが若干抑えられた程度では間に合わない。

 この連載では、1年間使うと3500万円かかるがん治療薬「ニボルマブ(商品名オプジーボ)」を、医療費高騰の象徴として取り上げてきた。それについて財務省の先の部局に聞くと、

「高額な薬剤を認めるのであれば、生活習慣病の治療で必要以上に高い薬を使ったり、うがい薬や湿布薬など市販薬と同じ薬が、医者にかかれば1~3割の負担でもらえたり、ということは見直しが必要です」

 と回答したが、臨床医の里見清一氏が言う。

「超高額薬の導入でかかった分を、風邪薬や湿布薬を保険適用外にして削り、爪に火を灯して帳尻を合わせようとしたところで、どう考えても限界があります」

■商品としておかしい

 前回、高い新薬を使いたがる医者の「悪習」に触れたが、横倉会長も訴える。

「製薬会社は高価な新薬を使うように勧めます。しかし高血圧でも高脂血症でも、従来からある薬で十分効果がある場合もある。そこまで新薬が必要な患者さんなのかどうか、医師がしっかり見極め、従来薬では不十分だとわかったときに初めて新薬を使う、というステップを踏むべきです」

 里見氏が継いで言う。

「“診療ガイドラインを変えて、効果と副作用が同じなら薬価が安いほうを使うようにすべきだ”と財務省が提言したところ、厚労省が“そんなこと医者に言えない”と突っぱねたそうです。医者は猛省すべきですが、患者さん側にも反省すべき点がある。私が勤める病院で、効果と副作用が同じなら安い薬を使おうと決めた際、“この病院が新しい治療法の導入に消極的だという印象は与えないようにしてほしい”という意見が出されました。新しいものをむやみにありがたがる意識は、医者だけでなく患者側にもあるのです」

 むろん、がんのような深刻な病気では、新薬の積極投与に意義がある場合も多い。だが、前出のニボルマブを含む多くの抗がん剤では、だれに効くのか事前に見極められないため“無駄打ち”も多くなる。

 先の宮田氏は「プレシジョンメディスン」という言葉がキーワードになってきている旨を、こう語る。

「簡単に言えば“百発百中医療”です。今、抗がん剤が効果を発揮するのは3割ほどですが、遺伝子や家族の病気、生活習慣などを精査し、効き目を100%に近づける。また、副作用が出やすい人には投与しない。こうして、だれにでも絨毯爆撃的に投与しているのを、必要な人に適切に投与するように改めるのです」

 もっとも、それが簡単ではないから医療費が膨張し続けるのだ。経済産業省ヘルスケア産業課長の江崎禎英氏は、「産業政策に関わる立場」から指摘する。

「比較対象となった抗がん剤の奏効率が6・8~12・8%なのに対し、ニボルマブは22・9%と高く、明らかにいい薬です。それでも“22・9%にすぎないのか”と感じるのです。奏効率が6・8%だと9割以上の人には効かない。そういう商品が存在し続けるのはおかしいと思います。本来は残り93・2%という数字を減らしていくプロセスが必要ですが、それが薬の世界にはない。承認する、しないのイチゼロの議論はあっても、承認後にどうやって対象患者を狭めて奏効率を高めるか、という議論が起きない。薬以外の商品は市場の評価を受けて淘汰され、いいものだけが残って顧客満足度も上がっていく。それがないのは製薬業界の一番の問題です。またユーザーから見ると、6・8%の人に効いて、残りの9割の人に何も起こらなければいいですが、必ず副作用は起きる。しかも、だれに起こるのかのフィードバックがない。より効く人、副作用が起きる人を探すプロセスが見当たらない。ニボルマブはそのことを、強烈に突きつけたと思います」

 さらに、こう続ける。

「実は、社会の高齢化によって医療費が増える以上に、薬価の上昇によって医療費が圧迫される影響のほうが大きい。それでも本当に効く人が特定されるなら、3000万円でも5000万円でも使えばいい。ニボルマブは22・9%の奏効率で、77・1%の人には効かない。でも抗悪性腫瘍剤アレセンサは、4%の患者にしか適応になりませんが、奏効率は93・5%。これが商品としては普通なんです。効くかわからない抗がん剤に何兆円も使っているのはおかしいと思う。市場は商品を出して終わりではなく、進化させていく場所です」

“イチゼロの議論”を根本的に改めないかぎり、われわれは破綻から免れえないということだろう。

 さらには、効果が読めない抗がん剤の使い方について、宮田氏の話である。

「今、大学病院では、がん患者は死ぬ間際まで、あらゆる抗がん剤を試されているといいます。しかし、抗がん剤をギリギリまで与えられることが、はたして患者にとって幸せなのか」

 そして、こう提言する。

「80歳とか認知症発症という区切りを設けて抗がん剤を控える、ということも考える必要があると思う」

■大事なのは種族保存

 外国に倣(なら)うべき点もありそうだ。長くドイツの病院に勤めた心臓血管研究所付属病院の心臓血管外科部長、國原孝氏が言う。

「ドイツでは医療費を抑えるために患者一人当たりの医師数を減らし、それでも医療の質を高く維持すべく、工夫を凝らしています。心臓血管外科の場合、日本では専門医の認定に必要な手術は50例ですが、ドイツは500例。免許の更新に必要な手術数もドイツのほうがずっと多い。専門医になるためのハードルが高いため、多くの医師は家庭医になり、家庭医も地域ごとに定員が決まっていて、公的資金から出る診療報酬などにも上限があります」

 ところで里見氏は、かねてよりコストを顧みない医師の無責任を批判してきた。だが、今や日本医師会会長が「コスト意識を持つべきだ」と主張する。それほど状況は切迫しているのだ。

 むろん難しい問題もはらんでいる。たとえば、日銀出身で『中央銀行が終わる日』(新潮選書)の著書がある、早稲田大学大学院商学研究科の岩村充教授は、

「今の財政状況をみれば、回復の見込みのない高齢者などへの高額医療の制限に理由はあるでしょう。しかし“命は平等だ”という国の理念的前提が崩れ、仮に人口の1%が“自分の家族の命は金持ちより軽く扱われる”と感じれば、100万人のテロリスト予備軍が生まれることを意味します。日本社会のコンセンサス基盤が崩れ、財政破綻以前に社会が崩壊しかねません」

 と危惧する。だが、手を拱(こまね)いていれば、1億人のテロリスト予備軍が生まれることにもなりかねない。

「医者はコストのことを考えるべきではない」

 と公言している九州大学大学院の中西洋一教授(呼吸器内科)に聞くと、

「私は、医者はコストのことを“まったく”考えるべきではない、と主張しているわけではない。コストを考える前に、医者としての大前提を忘れてはならないと言っているのです。“この薬は効き目は劣るけど安いから”などと、コストを理由に医療の質を低下させてしまっては本末転倒です。しかし、このままいけば国民皆保険や高額療養費制度が破綻してしまうのも事実。そこで医療者にできるのは、私は効く人に使うことだと思う。効く人と効かない人の判別や、投与期間の見直しに関する研究を、積極的に進めるべきでしょう」

 実は、驚くほど里見氏と問題意識を共有しているのである。だが、

「長く生きたいというのは、生物としての人間の本能です」(同)

 という訴えに対しては、

「しかし、そのために子や孫を切り捨てるのか。自己保存と種族保存のどちらが大事なのか。本来的には矛盾しないその二つの本能は、少子高齢化のもとでは明らかに二律背反に陥る。今は種族保存を優先すべきではないでしょうか」(里見氏)

 子や孫のために、われわれの死生観が問われている。

「短期集中連載 医学の勝利が国家を亡ぼす 第7回 迫り来る財政破綻は回避できるか」より

週刊新潮 2016年6月23日号掲載

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