膵臓がん告知から14年・岸本葉子 椎茸を買うにも“使い切る前にもしかして…” がんに打ち克った5人の著名人(5)
岸本葉子さん(54)。共編著などを合わせ、100冊余を上梓してきたエッセイストで、目下、「NHK俳句」(Eテレ)の司会を務める。
岸本さんが、聞き馴れぬ虫垂がんの告知を受けたのは01年10月、まだ40歳のころだった。すなわち、14年に亘って「がん後」を生きてきたことになる。
そんな彼女曰く、がんであることが重くのしかかってくるのは告知のときではなく、治療後だという。
「治療前は期待感もあるんですが、手術後は再発に対する恐怖が大きくなる。主治医によれば、ステージは転移のない『3A』で、手術で治った確率は30%と言うんですが、じゃあ私は数年以内に70%の確率で死ぬのかと。その不安は常にありました。だから物事を長期的に考えることができなくなったんです」
干し椎茸を買おうとしても、使い切る前にもしかして……と考えると、「干し椎茸にも私は負けるのか」と気持ちが落ち込んだ。
「再発不安の重しみたいなものがずっとあり、それにいかに押し潰されず暮していくかが最大のテーマです」
こういった懸念はたいてい、時間に余裕のあるときに心へ忍び寄ってくる。したがって、暇な時間は作らないように意識した。家事、仕事、遊び……。何事にも集中して取り組んだ。
加えて、予防に関する医学的根拠は確立されていなくても、体にいいと思った習慣を続けることで不安は和らいでいく。岸本さんがいまも続けているのは、食事療法、漢方、加圧エクササイズなど。
「将来の保証を求めているわけではありません。もし再発しても裏切られたとは絶対に思わない。どなたかが書いておられたけど、座して死神に王手をかけられるのを待つのはたまらないと。私も同じ気持ちで、何とか抵抗したいのです」
患者同士のサポート・グループに入ったのも良かった。岸本さんは当初、“同病相憐れむ”的な雰囲気ではないかという先入観から避けていた。しかし退院から1年後、試しに参加してみると気持ちがスッキリした。
大腸がん患者は、消化器を切った結果、しばらくは便通調節に苦労する。漏らすのが心配な大手企業男性役員の場合、生理用パッドをお尻につけて重要会議に臨んでいた。それでも便のことで頭はいっぱいで……。
「がんの当事者同士で話すと、笑い話になるんですよ。人に話せると気持ちが解放される。つくづく思ったのは、ストレスの原因は取り除けなくても、ストレスそのものは軽減できるのだということです」
こうした体験は、後に認知症的な症状を呈した父親の介護にも活かされる。
〈認知症の人の基本には不安がある〉
関連本にあった一文だ。
「不安があり、できなくなることも増えているのに、父は私に当たり散らすわけでもなく、静かに耐えていた。偉いなと思って。こんな理解ができたのも、40歳でがんを経験したからかなと。患わなければ、父にイラッとして終わっていたかも知れません」
一昨年に父親は他界。相前後し、自らの老い支度を考えるようになる。不安のイメージばかりが先行してきた老後に対して、いまは「恵み」の側面も感じている。背景には、岸本さんと同世代のがん患者が、若くして亡くなったことがある。
「その人たちは老後を生きられなかった。もし私が、不安ばかりを口にして老後を後ろ向きに考えていたら申し訳ない。不安はあるけれど、よい老後にしなければと思っています」
「特別読物 がんに打ち克った5人の著名人 Part3――西所正道(ノンフィクション・ライター)」より