【乳がん】アグネス・チャン「タバコも吸わない私がなぜ」 がんに打ち克った5人の著名人(1)

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 近著『スタンフォード大に三人の息子を合格させた50の教育法』(朝日新聞出版)が話題の歌手、アグネス・チャンさん(60)。

「タフネス」の異名をとり、検査も受けたことがなかった彼女が、体の異変に気付いたのは2007年9月のことである。家のソファに横になってテレビを見ていたとき、右胸の奥にシコリを見つけた。

「大きさはニキビ程度で、少し痒かったんです。普通ならやり過ごしていたと思います。でも偶然、数週間前に『リレー・フォー・ライフ』という、がんの患者さんや家族を支援するチャリティ・イベントに参加していて、そのせいで“がんかも?”と思ったのです」

 検査の結果は乳がん。告知を電話で受けた後、詳細を聞くため、夫と東京・聖路加国際病院に向かった。

「車の中で涙がこみ上げました。食事には気をつけてきたしタバコも吸わない。ローリスクのはずの私がなぜと。ただただ悔しかった」

 もっとも、がんは幸い早期だった。アグネスさんは、共に米国で生活する大学生の長男、高校生の次男へこうメールしている。

〈びっくりしないで、ママは乳がんなの。でも早期だから大丈夫だと思います〉

 少しでも安心させたい一心だった。ところが期せずして、次男が通う高校の担任からこんな連絡を受けたのである。

「中間試験が0点でした。何かありましたか?」

 当時を思い出すと、いまも涙ぐむ。

「帰国したがった次男は、ダメだと私から言われて頭が真っ白になったようです。彼は大学受験を控えていました。アメリカの受験システムは、高校時代の4年間の学業成績が重要な資料になるのですが、0点を取ると平均点が悪くなってしまう。取り返しのつかないことをしてしまったなと……。がんになると周りも巻き込んでしまうんですね」

 手術は約2週間後。転移はなく、乳房が温存できた。

 入院中は一時帰国した長男が大活躍。10歳だった三男の弁当作りを買って出てくれたおかげで、アグネスさんのそばに夫が付き添っていられたのだった。

 8日後に退院して、すぐコンサートに出演。月末には北京へ飛び、中国・人民大会堂で、1万人を前に2時間半、20曲を熱唱した。

 ただ、乳がんの治療は手術後も続いた。辛かったのは、暮れから始まったホルモン療法。再発予防のためだが、関節の痛み、顔の腫れ、腫れが引くときに皮がめくれるといった副作用にも悩まされる。

「体が辛く、仕事をやめようかなと思ったりして私がしょんぼりしていると、三男はインターネットで仕入れたのか、ジョークで私を笑わせてくれるんですね。可愛くて、その気持ちが嬉しくて、泣いたり笑ったりしていました。副作用は辛いけれど、三男が15歳になるまで、なんとか生きたい。だから我慢してホルモン療法を続けました」

 副作用に耐えながら仕事に打ち込んだ。術後1年で約140のコンサートに出演。一方で、日本対がん協会「ほほえみ大使」にも就任、がんの早期発見・早期治療の環境作りを推進した。

 告知から9年たったいまも再発はない。

 とはいえむろん、その心配がないわけではない。実際、昨年には、同じ時期にがんを発症した“同期”2人が相次いで再発。自分もいつどうなるかわからないという不安が首をもたげてきたが、

「それなら残り時間をまっとうしたい。楽しく生き切ろうと思ったのです」

 一人旅、踊り、映画鑑賞……。“終活”のつもりで、やり残してきたことをリストアップしたら、ワクワクしてきた。

「かえって忙しくなって、死んでいる場合ではないなって。生きる力になっています」

アグネス・チャン
1955年生まれ。歌手、米スタンフォード大学教育学博士、ユニセフ・アジア親善大使。近著に『スタンフォード大に三人の息子を合格させた50の教育法』(朝日新聞出版)

西所正道(にしどころ・まさみち)
1961年奈良県生まれ。著書に『五輪の十字架』『「上海東亜同文書院」風雲録』『そのツラさは、病気です』、近著に、『絵描き 中島潔 地獄絵一〇〇〇日』がある

週刊新潮 2016年5月19日菖蒲月増大号掲載

「特別読物 がんに打ち克った5人の著名人 Part3――西所正道(ノンフィクション・ライター)」より

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