日本人が陥る中東問題のワナ――【中東大混迷を解く】 サイクス=ピコ協定 百年の呪縛〈著者インタビュー〉池内恵
――なぜ、この本を書こうと?
中東が大混乱しています。その原因は何か。五里霧中に見える中東情勢の、将来をどう見通せばいいのか。どうすれば中東に平和と秩序が戻ってくるのか。何をキーワードにすると色々なものが見えてくるのかと考えた時に行き着いたのが、世界史の教科書でおなじみの「サイクス=ピコ協定」だったのです。
ちょうど今年はサイクス=ピコ協定から百年目。第一次世界大戦の最中、イギリスとフランスが謀議して、オスマン帝国が崩壊した後にその領土・支配地、特に現在のイラクやシリアやイスラエル・パレスチナあたりの、アラブ人が多く住む土地を分割して支配しようと約束した。交渉に当たった英仏の植民地行政官の名前をつなげてサイクス=ピコ協定と呼ばれる。有名、というか、世界史上最も悪名高い国際合意と言えます。
――中東の混乱は、英仏がこの協定で勝手に国境線を引いたからなんですね?
いや、そう言ってしまうとちょっと違います。確かにサイクス=ピコ協定が今日の状況の一つの起点になっていることは間違いない。でも、それが全ての問題の元凶だというわけではないんです。
池内恵さん
中東問題が紛糾すると、テレビにコメンテーターなどが出てきて、中には「サイクス=ピコ協定」という言葉を知っていて、「結局これが問題なんです」と解説してみせるのだけれども、よく分からずに言っているようにしか聞こえない。何も関わりがないことまで、この協定のせいだ、と決めつけてしまうのですから。
確かに、英仏が引いた国境線の中で独立を果たしたアラブ諸国は、国としての自立性やまとまりに欠ける面がある。恣意的に引かれた国境線の中には、民族問題や宗派問題が時限爆弾のように埋め込まれている。でも、それは複雑な物事のごく一面に過ぎない。サイクス=ピコ協定のようなかなり人口に膾炙した言葉には、それなりに必ず重要な面があります。しかしそれはあくまでも物事への「とっかかり」であって、あるところから先の本質を考えていくには、素人の大雑把な直感に頼るだけでは先に進めない。そこでこの本では提案してみたのです。サイクス=ピコ協定を知っているなら、ついでにセーヴル条約とローザンヌ条約についても知ってみてはいかがですか、と。
――途端に聞き慣れない用語ですね。
そうでしょう。高校の世界史でもほとんど教えられていません。別に私は条約の文面を諳(そら)んじなさいとかは言っていません。歴史は「暗記もの」ではない。それよりも、この三つの協定・条約の「論理」を知って欲しいのです。サイクス=ピコ協定から四年後、一九二〇年に結ばれたセーヴル条約では、オスマン帝国の中心、今のトルコの領土であるアナトリア半島が分割されます。それも、ギリシア人とかアルメニア人とかクルド人とかいう、トルコ人でもアラブ人でもペルシア人でもない少数民族が、分割の主体になろうとするのです。それぞれロシアや英国など域外の大国を後ろ盾につけて。
しかしセーヴル条約で徹底的にズタズタにされてしまったオスマン帝国のトルコ人の軍人などエリートたちは、この条約の受け入れを拒否し、オスマン帝国のスルターン=カリフの支配も覆して、独立戦争に打って出る。そうして、少数民族たちが独立・自治を要求し武装して挑んでくるのを制圧し、現在のトルコ共和国の国境・領土まで押し戻して終戦を迎え、独立を果たした。それを認めたのが一九二三年のローザンヌ条約です。
■現代的な関心によって更新される歴史
――うーん、全然知りませんでした。
やはりね(笑)。協定の後に中東の情勢が大きく移り変わっていった。それに応じて、全く違う論理と原則に基づいて、二つの条約が結ばれたのです。
サイクス=ピコ協定の論理とは、大国間の協調によって中東の秩序を形成するというものです。当時の超大国、列強と呼ばれた英仏が談合してオスマン帝国の支配地を分割しようとし、ロシアも乗った。当時のロシアは、現在のアルメニアやアゼルバイジャン、さらにイラン北部まで勢力を伸ばしており、域外大国というよりは中東の域内大国でもありました。
協定を結ぶ者たちは、現地の勢力はただ従えばいいものとみなしていた。しかし現地の人たちにも意志と主体性があるので、列強の思い通りにはならなかった。少数民族や少数宗教・宗派の勢力が台頭して、それぞれの民族の国家独立や自治を求めて戦っていきます。第一次大戦が終わった直後から、オスマン帝国の領域、特にトルコでは激しい戦争が、今度は大国間の戦争ではなく、オスマン帝国の領域内の諸民族・諸宗教・宗派集団間の内戦が、勃発していたのです。
この諸民族間の内戦に列強も関与していた。ロシアはアルメニア人を使いトルコのアナトリア東部に進出し、イギリスはクルド人を支援してアナトリア東部に勢力圏を作って対抗しようとした。隣国ギリシアはオスマン帝国内のギリシア人の住む領域を全て自国に編入しようと侵略してくる。それに対してオスマン帝国の軍の中枢にいたトルコ人が、ケマル・アタチュルクの指揮下で奮起し、実力で少数民族を排除して、その結果を固定化するという形で秩序が形成されました。
――現在その秩序が再び崩れつつある?
そうです。きっかけは二〇一一年の「アラブの春」でした。アラブ諸国は、独裁者が押さえつけることで、国家や国民社会がかろうじてまとまっていた。政権の揺らぎや崩壊によって、国家のまとまりもまた失われたのです。つまり、三つの協定・条約で何とか解決あるいは押さえ込もうとした問題が、もう一度表に現れてきた。そうなると、セーヴル条約やローザンヌ条約も、新たな意味を持って思い出すべき対象となる。歴史というのは、現代的な関心から思い出されることで、常に更新されていくのです。
■「中東ブックレット」の狙いとは
――この薄めの選書にした意図は?
これが、今私がどうしても書きたい、このテーマにとっての、ちょうどいいサイズだからです。ばらばらの情報ならインターネットに溢れ、ほとんど飽和状態です。だからこそ、一冊の本という有限の器の中に、本当に必要な情報だけを収めることに意味が出てくる。無限に情報があると、選べないし捨てられなくなるのです。必要なものを選び、不要なものを選んでくれる媒体として、本はいまだに最適の容れ物だと思っています。
そして選書という媒体に私は以前から興味を持っていました。学術的な内容を軽快な装丁で本にできる。ただし、選書の通常の厚さだと、世の中の現場の最前線にいる忙しい人たちに、そういう人たちにこそ実は私の本を読んで欲しいのだけれども、なかなか読み通してもらえない。ならば要点に絞って極限まで薄くしよう、と。出張で新幹線に乗る前に買って、東京・新大阪間でじっくり読めば読みきれるぐらいの厚さ。朝のニュースで気にかかっていた中東の事件について、背後にある歴史や政治や国際関係がまとまって頭に入ることを意図しています。
文字数は通常よりは少ないですが、決してお手軽ではない。日本の読者に理解しやすくするための行き過ぎた単純化はしていません。単純にできるところはさらっと、できないところは立ち止まって考えられるよう、メリハリをつけて書きました。おそらく世の中には二種類の読者がいます。ああ自分はよく知っていると思って満足する読者と、まだ知らなかったことを読んで満足する読者。この本は後者に向けて書かれています。中東についてよく言われがちな、威勢のいい、耳に聞こえのいい話では満足できず、本当のところ、もう少し突っ込んだところが知りたいという読者がターゲットです。
――しかしそうすると売れますかね?
ちょっと苦しいと思います(笑)。というのは冗談で、潜在的な読者はかなりいると思います。私は過去十年ほどで過熱した「新書戦争」をあまりよく思っていません。かつては長く読まれる定番の、教養主義的な高尚な内容のものが多かった新書という媒体が、近年大きく変わってしまい、各社が競って数多くの新書を毎月刊行して競争しています。ものによっては、ほとんど月刊誌の特集一つぐらいの内容ではないかと思われるお手軽なものが出ていて、しかもそういうものが良く売れたりする。
新書戦争に火をつけたのは、他でもない、新潮社です。二〇〇三年に創刊した新潮新書は、それまでの教養主義的な新書とはスタイルを大きく異にして、ジャーナリズム的な速さ、斬新さを重視して、新書ブームを巻き起こしました。四百万部以上売れた養老孟司『バカの壁』は新しいスタイルの新書の金字塔であり、同時に戦後の日本の教養主義を支えてきた新書という媒体への決別宣言(ヴァレディクション)であったと思います……これ検閲されないかな。
――え、いえ、大丈夫です(汗)。
もちろん、それによって出版界が大いに活気づいたことは確かです。専門家にとって、新書という読者が手に取りやすい媒体によって、高度な内容を噛み砕いて伝えることができるのは魅力的です。私自身が『現代アラブの社会思想 終末論とイスラーム主義』(講談社現代新書、二〇〇二年、大佛次郎論壇賞)、『イスラーム国の衝撃』(文春新書、二〇一五年、毎日出版文化賞特別賞)と、もともと論文の形で出ていた研究成果を少し読みやすくして新書にしたところ、思いがけないほど多くの読者に届けることができた幸福な体験を何度もしています。
しかし新書では書き切れない内容と歯ごたえの本をどうやって出すか。今回は、サイズの大きな地図も多く入れる必要がある。そこで浮かんだのが選書。内容を思いっ切り切り詰め、要点だけ詰め込む。さらっと読み飛ばせるほど軽くはないけれども、落ち着いてひとつながりの論理を読み通すと、世界がクリアーに見えてくる。そんな媒体として「ブックレット化した選書」を思いついたのです。
――発案から刊行までが早かった。
読者の関心が高まりつつある重要なテーマを察知し、研究蓄積を踏まえて“一筆書き”で書いて届ける。まさに「オンデマンド(要望に応じて)」出版です。
――通しタイトル「中東大混迷を解く」とあります。シリーズ化するのですか?
同じような薄さで、中東というテーマで二冊目も三冊目も出すつもりです。中東の混乱は近い将来には収まりそうにありません。耳目を集める事件や事象が起こって、私に書けること、書きたいことがあれば出していきたい。もしこの本の評判が良くて、売れれば、どんどん出るでしょう(笑)。結果的に他社も模倣して「新潮社が今度は選書戦争に火をつけた」と言われるぐらいになりたいですね。
■説教癖を直すために?
――最初薄すぎるかな、と思ったのですが、意外にしっくりくる。文章が引き締まり、内容も濃い。読後感も重い。
ですよね(笑)。これはインターネット用語かもしれませんが、「小一時間説教」することを意図しました。よくいるんですよね、講演で中東情勢やイスラーム思想について話すと、質問で本題と関係なく「わたしゃね、思うんですよ、諸悪の根源がサイクス=ピコ……」などと一席ぶって一向に質問に入らないおじさまが(笑)。それはまあ実際に重要で、今に至るまで影響を与えている面はある。でも何もかもそれでは解けないし、正しくは解けない。じゃあそれぞれの民族や宗派ごとに国を作ればいいのか。そんなことをしたら旧ユーゴスラビアのように分裂を繰り返して内戦が終わらなくなります。逆に、国境線を引くのはやめて、オスマン帝国のようにトルコ人など征服民族の下で諸民族が服属して暮らしていくかというと、いまやそんな境遇で満足する民族は少ないでしょう。
私も短気なので、「サイクス=ピコが重要というなら、どう重要なのか、言ってみてください。言えませんか。実際には……」と、小一時間ばかり説教したくなるんです。悪い癖です。あまり外で人様に説教していると評判が悪くなるので、これからは、ここぞとばかり微笑んで「ブックレットにしてありますからお買い求めください」と言いたいですね。
この本では、要所要所では隅々まで理屈を通して考えるので、ちょっと面倒くさいかもしれませんが、知っておくべき基本的なポイントを、ひとまとまりの論理でまとめてあるので、読み終わる頃には、それまで全く脈絡がないように感じられていた中東情勢が、かなりスッキリと見えてくるのではないでしょうか。