樋口毅宏 男の子育て日記「おっぱいがほしい!」その2

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小説家・樋口毅宏さんは結婚を機に京都に移住した。弁護士として活躍する奥さんに代わり、日中は樋口さんがつきっきりで子育てをしているという。そこで気づいた世の男たちの思い上がり、母になった妻の変化、子どもから教えられることの数々。週刊新潮で連載が始まった「おっぱいがほしい! 男の子育て日記2016」の期間限定、特別配信です。

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(イメージ)

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「子供を持って初めてわかること」というのは、確かにある。

 話には聞いていたが、子育てがここまでハードだとは思わなかった。

 とんでもない重労働。

 僕と妻は、我が家でいちばんエラい王様に仕える奴隷だ。

 水道橋博士が以前、三人のお子さんを育てる奥様のことを、「育児奴隷」と喩(たと)えていた。

 僕は長い間、「いくら大変だとはいえ、自分の子供を育てているのに、奴隷というのは言い過ぎでは……」と思っていた。

 失礼しました。博士のおっしゃる通りでした。

 生まれてから最初の一ヶ月は、ふたりとも記憶にない。

 座ったままあやしても機嫌が悪いため、立ちながら抱っこすることになり、万年腱鞘炎、筋肉痛になるなんて、赤ん坊が生まれるまで知らなかった。

「ヒザを柔らかく使う」って、野球のショートだけだと思っていたよ。

 ベビーベッドをレンタルしたものの、そばにいないと眠らないため、結局親子三人、ベッドに川の字で寝るようになった。

 寝返りは打てない。赤子が真横にいることを意識しながら、眠りにつく。

 しかも二、三時間ごとに赤子は泣く。ヘタしたら一時間もしないうちに。そのたびこちらは起きて、オムツを替えて、ミルクを与える。

 昼夜逆転というより、一日の境目がなくなった。

 赤ん坊が泣く理由は大まかに分けて三つ。

・おなか減った。

・オムツ替えろ。

・眠い。寝かしつけろ。

「泣く子と地頭には勝てない」。現代では地頭はどうか知らないが、前者はその通りだ。恐らく、永遠に変わらないだろう。

 どうにか寝てくれるとホッとする。

 どんなに泣いて振り回されても、赤ん坊の笑顔で報われる。何事もなかったようにスヤスヤ眠るわが子に向けてつぶやく。

「寝ている間がいちばん可愛いよ」

 そういえば、親が同じことを言っていたなあと思い出す。

 この歳になってようやく、親に感謝する気持ちが湧き上がった。

 自分を作家デビューさせてくれた恩人、白石一文の『僕のなかの壊れていない部分』で、主人公の恋人の父親がこう言う。

「親というのは、一段低級な生き物なんです」

 娘が少しでも人生に苦労をしないで済むなら、他の子供が犠牲になっても構わないという。

 これの究極とも言えるものが、古代ユダヤのヘロデ大王だろう。『マタイ伝』によると、預言者から「ベツレヘムに新しい王が生まれた」と告げられた大王は、二歳以下の幼児をすべて殺害させた。

 マリアは災いから逃れるため、馬小屋でイエスを産み落とした。

 究極の親バカと言えるが、現代でも権力がある親なら同じことをするに違いない。

 敬愛するつかこうへいは『娘に語る祖国』でこう書いていた。

「娘よ、私にとっておまえが故郷です」

 どれもこれも、いまはよくわかる。とても沁みるほどに。

 一文(かずふみ)くん、ありがとう。きみは僕の幼い教師です。

樋口毅宏(ひぐち・たけひろ)
1971年、東京都豊島区雑司が谷生まれ。作家。白石一文氏に見出され、『さらば雑司ヶ谷 』で小説家デビュー。他の著書に『民宿雪国』『タモリ論』など。

週刊新潮 2016年5月19日菖蒲月増大号掲載

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