追悼・プリンスの天才伝説(3) なぜ「革命的」と言われるのか
ビートに抱かれて
プリンスとセットになっている言葉には「天才」に加えて「革命的」というものもある。ミック・ジャガーの追悼コメントにも「革命的(revolutionary)」という単語が使われていた。
もちろん、彼が一時期率いていたバンド名「ザ・レヴォリューション」も関係しているのだが、その音楽自体が革命的だったのもまた事実である。どこがそんなに凄かったのか。
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ミュージシャンでプロデューサーでもある西寺郷太氏は、著書『プリンス論』の中で、音楽家ならではの視点で、その「凄さ」を分析している。同書から、プリンスの大ヒット曲〈ビートに抱かれて(When doves cry)〉について綴った箇所を紹介してみよう。
「(〈ビートに抱かれて〉では、)プリンスの代名詞であるジミ・ヘンドリックスばりのヘヴィなギター・サウンドがイントロに鳴り響く。これまた代名詞である下品な呻き声と同時に、ドラム・マシンとシンセサイザーがシンプルなフレーズを繰り返す。
能天気なキーボードとリズムの不穏な組み合わせで、『何かが始まろうとしている』感覚をもたらしたのも束の間、Aメロの歌が始まった途端、リズムと歌だけになる。
梯子を外された感覚は、歌が登場してから約30秒間そのまま続き、その後もほぼ隙間だらけのチープなキーボードのフレーズとコーラス(といつもの呻き声)が足されるだけで楽曲は進行してゆく。
実はこの曲、イントロとアウトロだけにしかギターが登場しないのだ。
耳を凝らして聴けば、『登場する楽器、異常に少ない!』ということがすぐにわかるはずだ。(略)
そしてこの曲、ただシンプルなだけでは、ない」
ベースが無い!
「なんとこの曲には、全編を通じて『ベース』が存在しない。そもそも制作過程では入っていたようなのだが、最終段階でのミックスで、『ベースがない方がクール』というプリンスの判断により、ベースのトラックがオフになったままリリースされたのだ。
通常の黒人音楽のファンクネスの肝である『踊りやすさ』は、ドラムとベースのリフレインを主軸に成り立っている。
例えばマイケル・ジャクソンの〈BAD〉〈スリラー〉〈スムース・クリミナル〉、そして僕が最初に衝撃を受けた〈ビリー・ジーン〉もそうだった。
それほど重要なパートであるベースが〈ビートに抱かれて〉には一切登場しない。
それは、当時ダンス音楽として誰も思いつかない手法だった。
さらに凄いのが、この異質な構成の奇妙奇天烈な曲が、1984年のビルボード年間チャートで1位を獲得していることだ。つまりその年アメリカで最もヒットした曲がこの〈ビートに抱かれて〉なのだ。
同じ音楽家として言うが、『変なこと』『異常なこと』それだけを追求するのは実は難しくない。
しかし、アヴァンギャルドでありつつヒットさせることほど難しいことはない」
プリンスの凄さがよくわかる分析ではないだろうか。
西寺氏は、今回の訃報を受けて、次のように語っている。
「マイケル・ジャクソンに関しては、生前に本を出せなかったことを後悔していました。その意味では、プリンスについての本を、昨年出せたことは良かったと思います。
彼が亡くなったことは本当に残念で悲しいことですが、今回のニュースをきっかけにして、その素晴らしい音楽に触れる人が一人でも増えることを願っています」