新「駐中国大使」人事に小躍りする「チャイナスクール」

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 6種80本もの桜の木が並ぶ東京・霞が関の外務省では、めいめいが「春」の訪れに頬をゆるめている。早咲きの桜を愛でる者がいれば、はたまた――。

 3月25日、木寺昌人駐中国大使の後任に、横井裕駐トルコ大使を充てる人事が閣議決定された。6年ぶりとなるチャイナスクール(中国語研修組)出身者の起用に、長い「冬」を越した仲間たちが小躍りしているという。

「横井さんの駐中国大使就任は、彼らの念願でしたからね」

 とは、政治部記者。

「民主党政権下で丹羽宇一郎さんが民間登用されて以来、イングリッシュスクールの西宮伸一さん、フレンチスクールの木寺さんと、非チャイナスクールの大使が3代も続き、彼らの我慢も限界に来ていた。で、木寺さんの在任期間が3年を迎えた昨秋頃から、“後任は横井さんしかいない”という声を必死に上げていたんですよ」

 東大教養学部卒業後、1979年に入省し、中国課長、上海総領事、駐中国公使などを歴任した横井氏は、いわばチャイナスクールの出世頭。その彼に花形ポストを取り戻して貰おうというわけだ。

 外務省関係者が言う。

「これに呼応するかのように“横井待望論”を唱えていたのが、中国外交部なんです。横井さんは、丹羽大使時代に“お目付け役”として公使に就任したのに、とんだ弱腰外交を止められなかった。つまり、中国外交部にとっては与(くみ)し易い相手というわけで、日本政府に彼を大使にするよう、非公式に求めていた」

 むろん、対中強硬派として知られる斎木昭隆事務次官は、頭を抱えていた。

「チャイナスクール出身者は充てたくない。でも、他に適任者もいない。その一方で、木寺さんに中国外交部との厳しい折衝を続けさせるわけにもいかない。斎木さんは昨年秋以降、この3つの間で揺れ動いていたのですが、見かねた官邸が最終的に引き取る形で、今回の人事を決めた」(同)

 着任は、早ければ5月。一般に、「憂鬱」を誘う月である。

週刊新潮 2016年4月7日号掲載

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