乙武氏「私は教育者でもありますし、うしろめたさは常にありました」 〈乙武不倫全文公開(4)〉

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 妻と3人の子を持ちながら、20代後半の美女とパリ、チュニジア旅行に出かけていた乙武洋匡(ひろただ)氏(39)。2人はダブルの部屋で宿泊し、帰国後には別ルートで帰って、再合流。この“人目を忍んだ関係”について、乙武氏はどう答えるか。

 ***

 東京都豊島区内の自宅マンションを出てきた彼に、

「年末年始に、奥さまとは違う女性と旅行に行かれていますよね?」

 こう尋ねたところ、動揺した様子で、

「いえっ」

 と否定し、事務所スタッフが運転する車に乗って去っていった。

 しかし、再度の取材申し込みに対し、逃げ切るのは難しいと判断したのか、その後、観念した様子の乙武氏はついに取材に応じた。以下は、爽やかなイメージで売ってきた乙武クンの「告白」である。

「不倫と認識していただいて構いません」

「その女性とは、皆さんが『そういう関係なんじゃないか』と思っているような関係です。ええ、まあ、あのー、親しくて、まあ、お会いさせていただくことのある女性、ということになります。そうですね、はい、肉体関係もあります。不倫と認識していただいて構いません。彼女とは3、4年前からのお付き合いになります。長男が誕生しまして、まあよくある話ですけど、妻が母になり、夫婦らしさみたいなものが次第に失われていって……。本当ならば、夫である私がグッと堪(こら)えなければいけなかったと思うんですが、自分の弱さと言いますか、癒しを外に求めてしまいました」

 彼曰く、家庭の外に癒しを求め出したのは長男が生まれた8年前。20代後半の美女との不倫関係が始まったのは3、4年前。計算が合わない。長男誕生からこの女性と出会うまでの「空白の期間」はどうしていたのか。彼が夜の盛り場で女性と「いけない遊び」をしていたとの情報は複数ある。

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