「高市発言」を叩き続ける「朝日新聞」に違和感がある

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 平成の世に戦時中のような言論封殺を招きかねないとして朝日新聞が槍玉に挙げる、高市早苗総務大臣の“電波停止発言”。1カ月が経過したいまも糾弾キャンペーンの勢いは留まるところを知らない。しかし、この発言を叩き続ける朝日新聞にこそ違和感があるのだ。

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高市早苗総務大臣

 このままでは日本に言論統制が復活し、大本営発表に背いたメディアは片っ端から取り潰される――。

 朝日新聞の読者がそんな危機感に駆られるのも無理はなかろう。何しろ、この1カ月というもの、“高市発言”が言論弾圧を招くと訴える記事が、その紙面を飾り続けているのだから。

 実際、声欄に寄せられる読者の投稿も、

〈高市総務相は、戦前のような検閲がはびこり、国家に都合のよい報道機関ばかりにしたいのだろうか〉(2月16日付)、〈真綿で首を絞められるように、寛容に満ちた精神と良識ある言論が、じわじわと封印されていく〉(2月17日付・大阪版)

 と、悲壮感に満ち満ちた内容が大半を占める。

 だが、一歩引いて冷静に“発言”を振り返れば、熱に浮かされた朝日の論調に違和感を覚えざるを得ないのも事実だ。

 まずは、事の発端となった2月8日、9日の衆院予算委員会での高市大臣の発言を振り返ってみたい。

 民主党の奥野総一郎代議士と、玉木雄一郎代議士が連日に亘って追及したのは、政治的な公平性を欠く放送を繰り返した放送局に電波停止を命じる可能性について、である。高市大臣は終始、淡々とした口調でこう答弁している。

・1回の番組で電波停止はまずありえない。

・ただ、放送局が全く公正な放送をせず、改善措置も行わない時、電波法76条に定められた罰則規定を一切、適用しないとは担保できない。

・放送法4条は単なる“倫理規定”ではなく、“法規範性”を持つ。

 噛み砕いて説明すると、こういうことだ。放送法4条は“政治的に公平であること”など、テレビ局が番組を編集する際に守るべき規則を定め、“番組準則”と呼ばれる。

 総務省はこれまで、番組準則に繰り返し違反した場合には、電波法76条に基づいて、テレビ局などに電波停止(停波)を命じられるとの見解を示してきた。 

 その一方、放送法4条はあくまで倫理規定、つまりは“努力目標”という扱いで、憲法に保障された言論の自由を脅かしてはならないとする学者も少なくない。

 だが、日大法学部の百地章教授はこう語る。

「放送法は歴(れっき)とした法律なので、それを頭から倫理規定と断じるのはどうでしょうか。4条には法規範性があり、違反した時には“停波”もあり得るという発言は法解釈として極めて真っ当です。しかも、高市大臣は報道の自由を尊重すべきと繰り返し述べています」

 実際、高市大臣は朝日をはじめとするメディアの批判に対して、自身のHP上で反論を展開している。

 そこでは、停波があり得るのは“極端なケース”として、放送局が〈テロリスト集団が発信する思想に賛同してしまって、テロへの参加を呼び掛ける番組を流し続けた場合〉を例に挙げている。

 要するに、停波は放送局がテロリストに乗っ取られるような、極めて稀なケースでしか行えないと示唆しているのだ。

 だが、朝日はそんなことはお構いなしとばかりに、異常なまでの“高市発言”叩きに拍車をかけている。

 社説や声欄を含めると、ここ1カ月間だけで高市発言に触れた記事は約40本に上り、これは、毎日新聞のおよそ2倍に当たる。その上、高市発言をこき下ろすためなら、首を傾げたくなるような記事さえ許されてしまうのだ。

 その最たるものが、今月6日付の紙面に載った「停波命令、ISに出しますか」という記事である。

 先のHP上で高市大臣が述べた内容に噛みつく記事なのだが、

〈危ない「放送」なら今も世界中に流され放題だ。過激派「イスラム国」(IS)や同調者のネットでのテロ参加への呼びかけはその典型的な例だ〉〈ISに対して、日本の総務相が停波を命令するぞと警告してみても、むなしいだけだろう〉

 高市大臣は日本の放送局に対する停波を論じていたのだが、朝日の記事ではいつの間にかISへの警告に趣旨がすり替わっている。これが意図的だとすれば、批判記事どころか、もはや“いちゃもん”の類であろう。こんな荒唐無稽なやり取りは確かに“むなしい”。

■法律の遵守は当然

朝日新聞東京本社

 元「週刊朝日」編集長の川村二郎氏が解説するには、

「朝日は自分たちこそが言論の自由の旗手、権力の監視役だと思っています。だからこそ、その建前にケチをつけたら断固許さない、となる。ただ、慰安婦誤報問題の際、検証が不十分だと指摘した池上彰さんのコラムについて、掲載を見送ろうとしたのは当の朝日。臆面もなく言論の自由を振りかざすのはどうかと思いますよ」

 そんなOBからの苦言も、いまの朝日にとってはどこ吹く風なのだろう。

 麗澤大学の八木秀次教授はこう指摘する。

「新聞や雑誌と違って、放送は免許事業です。電波という公共財を国に割り当ててもらい、特別に使用している。もちろん、放送局は自律的であるべきですが、放送法4条に違反し続ければ、電波法76条の停波措置が講じられる。既得権益に守られた放送局が、法律の遵守を求められるのは当然のことなのです」

 他方、2月10日付の朝日の社説は、岸井成格氏や古舘伊知郎氏といった有名キャスターの降板に触れて、〈政権にはっきりものを言う看板番組の「顔」の交代に、報道の萎縮を懸念する声も上がっている〉と書く。

 しかし、元通産官僚で徳島文理大教授の八幡和郎氏に言わせると、

「朝日新聞は左派的なキャスターが降板すれば、政権に批判的な番組が作れなくなると主張しますが、そもそも保守派のキャスターなどおらず、保守派の論客は東京の地上波からほぼシャットアウトされています」

 さて、朝日は高市大臣だけを延々と糾弾し続けるが、その一方で、実は民主党政権でも同様の“発言”が飛び出したことがある。

 菅直人政権下の2010年11月、国会答弁に立った平岡秀夫総務副大臣(当時)は、先に述べた番組準則について、

〈我々としては法規範性を有するものであるというふうに従来から考えているところであります〉〈放送事業者が番組準則に違反した場合には、総務大臣は(中略)電波法第76条に基づく運用停止命令を行うことができる〉

 と明言しているのだ。

 同じく、当時の片山善博総務大臣も、〈法律にそういう大臣の権限がある〉ことを認めている。

 一連の答弁が高市発言と似たり寄ったりなのは明白。高市大臣ご本人も、

「行政の継続性の観点から、民主党政権時代と同様の答弁をさせて頂きました」

 と困惑するのだ。

 何のことはない、どちらも総務大臣として“官僚答弁”を披露したに過ぎないのである。

 それでは、高市発言を約40回も記事にしてきた朝日は、この当時、平岡氏や片山氏の発言を一体、何回報じたのか。

 答えは“ゼロ”である。

 両者にどんな違いがあるかと言えば、発言の主が自民党所属か、民主党所属かの違いしかない。

 当の朝日新聞社は、

「放送事業者の自律、放送の表現の自由は極めて重要です。今後も、放送に関する問題を報じていきます」

 と綺麗ごとを言うのみ。

 この違和感こそがメディアの信頼を損ねているのだ。

週刊新潮 2016年3月17日号掲載

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