2人の「加勢大周」が初めて明かした芸名大騒動の舞台裏

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 丸ビルと新丸ビル、大阪と新大阪――。新旧が並び立つ例はあるけれど、生身の人間にかぎっては滅多にない。例外が加勢大周と新加勢大周である。2人が並び立っていた期間はわずか20日だが、その衝撃の余波は、今も2人の人生にまとわりついているようだ。

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“新加勢”は今も超肉体派!

 それは1993年7月7日のことだった。

「あの日、僕は大阪で舞台の制作発表があって、終了後、ワイドショーのリポーターに“シンカセタイシュウさんがデビューしましたが”と言われましてね」

 そう語るのは、念のために言えば“元祖”の加勢大周(46)である。

「初め、よく聞き取れなくて“チンカス”に聞こえたので、なにバカなこと言ってるんだろうとポカンとしてしまったんですが、聞き直してやっと“新加勢”だとわかりました。こういうふうにやってきたか、とびっくりしましたね」

 椿事に至った経緯を、今は都内のバーで働く加勢に説明してもらおう。

「僕は高3のとき、バイト先の焼き鳥屋でスカウトされて、インターフェイスという事務所でモデルの仕事を始めたんですけど、ギャラを払ってくれない。要求したら“3本仕事したから3万円”と言われ、カチンときて“辞めます”と言った。そしたら“今進んでる映画のオーディションを頑張ってみてくれ”と。実は、もう就職活動をして教材会社から内定をもらっていたんですが、その『稲村ジェーン』のオーディションに合格しちゃった。せっかくだから役者として頑張ろう、と腹を決めました」

 だが、バブル真っただ中のカネ、カネという時代。

「事務所は目先の利益優先で、主役の仕事ばかり回してきますが、僕は役者としてなんのレッスンも受けられないまま。商品のように扱われたのは、事務所の女性タレントも一緒で、2人が別の事務所からセクシー女優としてデビューしてね。“元アイドル”と名乗るために歌手デビューさせていたんです。映画の撮影が始まっても、交通費も自分の立て替えで、給料を払ってもらえない期間が続いた。このままでは未来はないと思って事務所を辞める決意をし、契約解除の申請を内容証明で送ったんです」

 だが、契約は91年4月に自動更新されており、申請書を送ったのは4月4日。加勢は個人事務所で芸能活動を再開したが、インターフェイスは提訴してきた。請求は契約解除の無効、5億円の損害賠償、それに加勢大周の芸名使用禁止で、

「芸名の使用禁止とは虚を突かれました。ただ、92年の一審では負けましたけど、翌年、二審は勝訴。一応安心したのですが」

 ところが、6月30日の判決から1週間後、冒頭の椿事が発生したのである。

■新しいほう?古いほう?

 むろん、ここに至るまで準備は着々と進んでいた。

「高卒後、なんとなくオーストラリアに語学留学して、2年後になんとなく帰国したんです。運動に自信があったので、巨人の入団テストを受けようかな、と漠然と考えていたら、91年4月、到着した成田空港で“タレントになりませんか”と声をかけられたんですよ」

 回想するのは一時、新加勢大周と呼ばれた男(44)。加勢が内容証明を送った直後のタイミングである。

「しばらく事務所の掃除をしながらバイトしたりしていて、93年6月、社長に呼ばれて“来月、新加勢大周という名前でデビューだ”と言われました。実は、僕は海外にいたので加勢さんを知らなかった。加勢さんが出た映画やドラマのビデオを急いで見ると、知れば知るほど大物じゃないですか。マネージャーには“こんな名前でデビューしたくないよぉ”とボヤきましたが、社長には言えませんでしたね。加勢さんは白いTシャツにジーンズのスタイルだったので、僕は黒いタンクトップで筋肉ムキムキのイメージで売っていこうと決まりました」

 で、7月7日、白金台の八芳園でお披露目されたが、

「テンパって丁寧語だけはきちんと話そうと考えていたら、“ご存じですか”と聞かれて“ご存じです”と答える始末。その後、20日間はワイドショーに引っ張りだこでしたけど、加勢さんファンから罵声を浴びたり、コカコーラの缶を投げつけられたりもしました。結局、騒動を心配した日本俳優連合の森繁久彌さんや二谷英明さんが事務所社長を説得して、7月27日、僕は坂本一生になりました。“こんな早く改名するなら、最初から坂本でやってくれよ”と思いましたね」

 その後、タレントとしては鳴かず飛ばずで、

「呼ばれる番組は運動会的なものばかり。恰好は必ずタンクトップなので、とにかく明るい安村とかと一緒で、冬がきついんです」

 ほかにも、長距離トラックの運転手から便利屋、とび職人まで手がけ、

「いろんな免許を取って、工事現場の重機はすべて動かせます。売れていないのに顔だけ有名なのがイヤで、ひげボウボウにしていた時期も。今は生活支援事業振興会という社団法人の理事長も務めています」

 2008年に“元祖”の加瀬が大麻所持で逮捕された件に関しては、

「僕がやったと勘違いしたいろんな人から電話がきて、今も“お前、クスリはやめたのか”と聞かれることも。勘弁してほしい(笑)」

 それに対して加勢は、

「それは申しわけなかったけど、僕も今でも“新しいほう? 古いほう?”と言われたりする。まあ、坂本君はデビューのインパクトが強すぎて、何をやっても本来の魅力が伝わらない。気の毒だと思いますよ」

 名づけ親の社長は97年に亡くなったが、“呪い”は今も効いているようだ。

「60周年特別ワイド 『十干十二支』一巡りの目撃者」より

週刊新潮 2016年2月25日号掲載

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