政界官界芸能界にバラ撒いた日本屈指のタニマチ「泉井純一」

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 相撲界で使われる「タニマチ」の語源は、気前のいいスポンサーが大阪の谷町に住んでいたことから来る。「ナニワのタニマチ」と呼ばれた泉井純一氏(79)もまた、惜しみなく金をバラ撒いた。ところが、国税に見咎められたのが運の尽き。約2年のムショ暮らしを送る羽目になってしまう。

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「ナニワのタニマチ」と呼ばれた泉井純一氏(79)

 きれいに剃りあげた坊主頭。その理由は後述するとして泉井氏が振り返る。

「逮捕前の収入は月1億円ということもあった。事務所(泉井石油商会)には秘書がいてましたけど、基本的には私一人でやっていたビジネスですから」

 ということは、年収になおすと単純計算で約12億円。だが、泉井氏は、納税する代わりに交際費として使いまくった。収入の源は石油の「業者間転売(業転)」だ。過剰な在庫を抱える石油会社に渡りをつけ、引き取り先を紹介する。母校・早稲田大学のサッカー部の人脈もフル活用した。なかでも三菱石油との取引では四十数億円を手にしたという。

 最初に政界のスポンサーになったのは1982年。山崎拓氏を紹介されたのが始まりだ。以後、言われるままに金を出し、2億7000万円以上を山崎氏に注ぎ込んでいる。

「すごい金持ちがいる」

 そんな評判が伝わったのか、小渕恵三氏、森喜朗氏、武部勤氏といった大物政治家と付き合いが広がってゆく。料亭はもちろん泉井氏持ち。帰り際に封筒に入れた現金(10万〜20万円)を渡すと、皆そそくさと背広のポケットにしまっていた。その中には、先頃大臣を辞任した甘利明氏もいたという。

■石油の次は「水」

 交際はさらに霞が関、プロ野球、芸能界へと広がり、年末には1000万円をかけて大忘年会を開くまでになっていた。その一方で、懐は火の車。株に70億円をつぎ込み、暴落してしまったのが痛かった。タニマチをやめるわけにもいかず、金は右から左に消えて行く日々。そして破局が訪れる。

 95年7月、大阪国税局が泉井氏の自宅に踏み込む。次いで所得税法違反などの容疑で逮捕され、国会にも呼び出された。その5年後、高裁で懲役2年、罰金8000万円が確定する。

「僕と会わないでくれ」

 それまで面倒を見てきた山崎氏から冷たく言われたことが一番悔しかった。黒羽刑務所を出てから14年、今年80歳を迎える泉井氏は、生家のある大阪・鶴橋に戻って一人暮らしだ。

「出所してすぐ、手元に残っていたお金は1000万円ほどでした。でも、頂いた見舞金もあったのでなんとかやりくりできた」

 愛人も10人ほどいたが、刑務所を出てからは彼女が出来たことはない。思うところがあって出家したのは昨年3月のことだ。

「きっかけは一昨年の11月、最福寺の池口恵観さんと出会ったことでした。“坊さんになりなさい”と何度か勧められて決めたんです。名前も『泉井優考』としてね。酒も飲むし、お経も読まれへんけど月1回、寺に行って袈裟を着て護摩供養をしているんです」

 それでも、かつての人脈を頼って今も仕事が舞い込んでくる。

「石油? もうやっとらんよ。でも、刑務所にいたのに、ようこんだけ来るなあというくらい相談がある。なかでも一番力を入れているのは“水素水”。そのサーバーをレンタルする仕事です」

 そこで泉井氏に今の年収を聞くと、

「やっぱり税務署が怖いからなあ。1500万〜1600万円てことにしといて」

 散々痛い目に遭ったのを思い出したのか、少し警戒した表情になって言うのであった。

「60周年特別ワイド 『十干十二支』一巡りの目撃者」より

週刊新潮 2016年2月25日号掲載

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