「ポール牧」はハンドパワーで稲川会二代目石井進会長を治療した

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『三国志』の英雄の1人、劉備玄徳が関羽、張飛と義兄弟の契りを結んだのは2世紀後半の時期とされる。以来、1800年の時を越えた20世紀の後半に、指パッチンのポール牧はヤクザの幹部と義兄弟になったという。それが縁となり、“ハンドパワー”で広域暴力団のトップを救ったというエピソードが残されている。

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出家と還俗を繰り返した

「井の上さんとポールさんが五分の兄弟だったというのは公然の秘密だよ。2人が盃を交わしたのは、今から30年以上も前のことだったと思います」

 と語るのは稲川会系暴力団の元組員。「井の上さん」とは、2013年まで東京・新宿の歌舞伎町で井の上組を率いた、井の上孝彦組長(故人)のことだという。

「2人はしょっちゅう新宿を飲み歩いていました。年齢はポールさんが6歳年上で、彼は人目を憚らず井の上組長を“兄弟”と、組長は“ポールさん”と呼んでいました」

 北島三郎の『兄弟仁義』には「親の血をひく兄弟よりも/かたいちぎりの義兄弟」とあるが、2人の関係は肉親以上だった。05年4月に、ポール牧が西新宿の自宅マンションから飛び降り自殺をした際、井の上組長が遺体を引き取り、墓地や葬儀の手配の一切を取り仕切ったのである。井の上組長の長男である貴仁氏(45)が、ポール牧の知られざるエピソードを明かした。

「2人が盃を交わして間もない頃、稲川会二代目の石井進会長(故人)がメキシコ旅行中に倒れたことがありました。親父がすぐに沖縄で仕事中だったポールさんに連絡を取ると、ポールさんは仕事を切り上げて羽田に戻り、チャーターヘリで成田に向かい、会長が療養しているアカプルコに向かってくれたのです」

 その理由は知る人ぞ知る、ポール牧の“ハンドパワー”にあった。

「ポールさんには不思議な力があって、人が痛めた箇所に手をかざすとたちまち治ってしまう。実際、親父がゴルフ場でぎっくり腰になって動けなくなった時も、同行していた彼の力で事なきを得たことがありました。だから親父は、ポールさんの力で石井会長を助けようと考えたんでしょう。現地に着いたポールさんが“治療”を施すと、立ち上がることすらできなかった石井会長が、自力で歩けるまでに回復したのです」

 その後、石井会長は無事に帰国の途に就くことができたという。

■セクハラで告発

 にわかには信じ難い不思議な力。が、かつての事務所関係者は次のように振り返る。

「ポールさんが4〜5分、手をかざすと、その部分が熱くなって痛みがなくなるらしいんです。出先でも腰や肩、背中が痛いという人がいると、“見せてごらん”と“治療”していました」

 当時もいまも、稲川会は全国に傘下組織を持つ巨大な組織。皮肉なことに、そのトップを救った力こそが、その後のポール牧の人生を暗転させるきっかけとなった。00年12月に、彼がハンドパワーを施した銀座のクラブホステスから、「セクハラを受けた」と写真誌に告発されたのである。

 一時、ポール牧の事務所責任者を務めた出版プロデューサーの山田鉄馬氏(61)によれば、

「あの頃、ポールさんは芸人の仕事より僧侶としての講演の方が多かった。ギャラは1本30万円から50万円で、月に10本から20本近いオファーがあったんです。ところがその多くは地方の教育委員会や学校でした。記事が出るとキャンセルが続出して、収入は激減。奥さんとも離婚してしまったのです」

 古い知人によれば、

「自宅マンションのベランダには段ボールが外向きに階段状に置いてあったと聞いています。ポールさんは以前から、酔っ払うとそれを駆け上がって飛び降りるマネをしていたという。それが本当なら、自殺願望があったんでしょうね」

 指パッチンで人々を笑わせ、ハンドパワーで癒したポール牧も、自身を救うことは叶わなかったのである。

「60周年特別ワイド 『十干十二支』一巡りの目撃者」より

週刊新潮 2016年2月25日号掲載

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