「黒人の血を引く奴隷」「首相を睡眠障害に」……失言政治家が知っておくべき「余計な一言」を言わない心得
「黒人の血を引く奴隷」と言う与党議員もいれば、「首相を睡眠障害に」と言う野党議員も登場。
いつものことながら、政治家の「失言」が問題になっています。
なぜ彼らは「余計な一言」を言ってしまうのでしょうか?
そしてそれを防ぐ手立てはないのでしょうか?
テレビでもお馴染み、明治大学文学部教授の齋藤孝さんは、著書『余計な一言』で、失言のメカニズムと対策を語っています。
同書から抜粋して引用してみましょう。
■本音を言わないのが政治家
政治家はよく「本音」を漏らして問題になります。特に太平洋戦争関連の歴史認識を巡っては、その種の失言騒動は後を絶ちません。
本書では、誰の歴史観が正しいとか、間違っている、といった議論には踏み込みません。ともあれ、多くの場合、政府の方針とは別に、その政治家が信念として思っていることがあり、その人が信じる「歴史の事実」を「本音」として口にすると、政治問題化するという現象はよく見られます。
おそらくこの手の人は、「本当に思っていることを黙っているのは、何だか不誠実な気がする。この本音を隠し持つのはいけないのではないか」と思って、溜め込んだものを吐き出すように、本音を漏らしてしまうのでしょう。
「王様の耳はロバの耳」という寓話と同じことです。
そういう気持ちは人間に共通のものなので理解はできます。
しかし、そもそも政治家というものに求められる資質として、「話したくても話してはいけないことを話さずに我慢できる」という精神的な強さも含まれているはずです。
本音を言ってスッキリする職業ではなく、むしろ逆なのです。
もしもどうしても吐き出したいのならば、家庭とか完全にクローズな場でやるべきです。
■その本音に意味はあるのか
もう一つ、本音を言うことにはさしたる意味がない、という認識も必要です。本音を言わないと気分が悪い、不誠実な気がする、という人は、その本音イコール自分だと思ってしまっています。
しかし、その「本音」だと思っていることだって、永久不変とは限りません。いま「本音」だと思っているものも、新しい情報が一つ加わるだけで、ガラッと変わってしまうかもしれません。絶対の真理だと思っているけれど、ただの好き嫌いや思い込みや偏見だということもあるのです。
ほとんどのことは「本音」ではなくて、あくまでもその人の「現在の認識」もしくは「一つの認識」に過ぎないと思ったほうがいい。それは刻々変化するものなのです。
パーティで余計な「毒舌」「本音」を口にする人や、失言をしてしまう政治家には、そういう認識がありません。
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同書の中で齋藤さんは、政治家に限らず、一般人であっても、パーティなど公の場で口にする「本音」には十分注意が必要で、特に素人が下手に笑いを取りにいこうとするのは危険だ、と語っています。「(政治に関心の無い有権者は)そのまま寝てしまってくれればいい」「(浅田選手は)大事な時には必ず転ぶ」等々、数々の「余計な一言」で知られるあの方には、特に肝に銘じていただきたい教えではないでしょうか。
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