清原容疑者 福沢諭吉が泣く名門「慶応幼稚舎」で「子供出せやー」

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「慶応幼稚舎」と言えば、誰もが認める私立小学校の最高峰。入試に当たって、親の品格も厳しく問われるのは言うまでもない。この「狭き門」を、長男、次男と二度もくぐり抜けた清原。しかし、クスリ依存が増すにつれ、品格の欠片も失って、福沢翁を泣かせる数々のトラブルを起こしていた。

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“番長”清原容疑者

「子供がいねーんだよ!」

「うちの子出せやー!」

 渋谷区にある慶応幼稚舎の校門前。守衛に掴み掛らんばかりに怒鳴る“番長”の姿が見られたのは、2014年3月の、とある朝のことであった。

「当時、清原さんのお子さんは5年生と2年生に在籍していましたが――」

 と言うのは、幼稚舎の関係者。

「『週刊文春』で薬物疑惑が報じられたその朝、奥さんが2人を連れて家を出ていってしまったそうです。そこで清原さんはすぐに息子を取り返しに、うちまで来た。でも、そんなの校舎に入れるワケにいきませんから、守衛は止めるのに必死でした」

 しかし、

「清原さんはいくら言っても聞かない。で、2人の担任に舎長まで出動し、激しく言い争った末、ようやく引き揚げさせました。ちょうど時間は登校時。周囲には児童の山ができ、この件はあっと言う間に校内に広まっていきました」

 これを知った妻は、夫の影に怯え、その後、しばらくの間は、子どもを登校させなかったというのだ。

 名門小学校を襲った「前代未聞」の乱入事件。しかし、彼が幼稚舎の関係者の度肝を抜いたのはこれに始まったことではないという。

「運動会では毎年、話題になっていましたね」

 とは、幼稚舎OBの1人。

「5年前には夫妻で来ていましたが、下はジャージ、上は背中にドクロのマークがデザインされた黒いTシャツだったんです。ただでさえ目立つのに、清原さんは、息子の応援に夢中になって“頑張れー!”“行けぇー!”と叫び、コースの中に入っちゃったんです。何度も何度も“ご父兄の方はグラウンドに入らないでください”とアナウンスが流れていました」

 これだけならば、我が子を愛する余りのエピソードと取る余地もあるけれど、翌年のこれはどうか。

「清原さんは奥さんではなく、取り巻きを3人連れてきていたんです。うち2人は若いチンピラ風の男で、1人は30代の水商売風の女性。運動会には、近しい親族しか入れない決まりですから、ギョッとしました。本人は白いジャージの上下でしたが、子どもたちが彼を見て“あっ清原だ!”とか言うでしょ。すると、呼び捨てにされたのが気に入らなかったのか、清原さんは子どもを睨みつけて舌打ちするんです。正直、異様な光景でした」(同)

〈息子が使ってたグラブを見て今日も1日生きよう〉(11月30日付)

 昨秋、開設したブログでしばしば我が子への“思い”を吐露していた清原。

 しかし、壊れゆく姿を同級生の前に晒す父の姿を見て、息子たちは、果たして何を思ったか。父の愚行は、その多感な心に大きな傷を残して余りあったに違いないのである。

「特集 総力取材!『清原和博』汚れたお薬手帳」より

週刊新潮 2016年2月18日号掲載

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