所在不明の「伊藤若冲」が83年ぶりに現れた深い事情
国の重要美術品に認定されていながら、83年間、所在不明の名画があった。
江戸時代中期の作品「孔雀鳳凰(くじゃくほうおう)図」。筆を揮ったのは伊藤若冲で、海外でも人気が高い画家である。
「大正15年の美術雑誌『國華』に写真で紹介されて以降、公に展示された記録はありません」(文化部記者)
昨年、東京都内で見つかり、若冲研究の第一人者である辻惟雄東大名誉教授と、所蔵先に決まった岡田美術館(神奈川県箱根町)の小林忠館長が真筆と鑑定したのだ。
「若冲の代表作『動植綵絵(さいえ)』が描かれる直前の花鳥画は今までなかった。初期から代表作への過程を知る上で貴重な作品です」(小林館長)
200年以上前の作品だが、保存状態は驚くほど良好だと小林館長が続ける。
「長期保存の際につく染みが僅かにありましたが、華やかな色彩は失われていない。所在が分からなくなる前に持っていたのは広島藩浅野家侯爵ですが、京都で若冲が描いた絵が、広島、東京と移り現代に蘇った。ややもすれば震災、戦災、原爆の被害に遭って失われていたかもしれないだけに、大事に保管されてきたことがよく分かります」
よほどの価値を分かってのことだろうが、いったい誰が所有していたのか。
「残念ながら、詳しいことは聞かされていません」
と小林館長は口を濁すが、この世界ならではの事情があると先の記者が言う。
「戦後の税制改正で美術的価値が認められるモノには相続税がかかるようになり、収集家は名前が公に出ることを嫌う。そのため、貴重な作品は秘匿され、世に出る機会が減っています」
晴れて陽の目を見ることになった若冲の逸品は、4月開催の東京都美術館「生誕300年記念 若冲展」と、9月の岡田美術館の特別展で公開予定だが、小林館長はこんな夢も披露する。
「若冲には写真でしか見られない作品がまだ2つある。もうこの世にないのかもしれませんが、受け身ではいけないと思っています。望みが強ければ作品が現れてくる。そう信じています」
宝探しは続く――。