年収は「中居5億」「キムタク3億」……SMAPを売り上げ250億円グループに育てた敏腕マネージャー

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 ジャニーズ事務所を中核に、10社を超える関連会社から成る“ジャニーズ帝国”。その一大勢力の振り出しは、1962年に遡る。ジャニー氏が「ジャニーズ」というアイドルグループを結成し、芸能ビジネスに乗り出したのである。

ジャニーズ事務所

 事務所の知名度を一躍高めたのは、68年にデビューしたフォーリーブスのブレイクだった。以来、たのきんトリオ、少年隊、光GENJI、SMAP、嵐などキラ星の如きスターたちを次々と輩出。今やグループ全体の売上げは1000億円を超えると言われる。

 なかでも90年代以降、ジャニーズのエースとして事務所に最も貢献してきたのがSMAPだ。たとえば2014年の彼らの売上げを推計すると、

○ファンクラブ収入 会員約99万人×年会費4000円=約40億円

○コンサート収入 動員数約100万人×チケット代9500円=約95億円

○音楽収入 CDシングル2枚とアルバム1枚、ライブDVD1枚で計約23億円

○CM、ドラマ、バラエティ等のテレビ収入 約60億円

 しめて約220億円。実態が判然としないグッズ収入も加えれば、優に250億円は突破するに違いない。ここ数年、人気に翳りが見え始め、エースの座を嵐に奪われた感が強いとはいえ、依然、ドル箱スターである。むろんメンバー個人の収入も大きい。

「昨年のメンバーの推定年収は中居正広がトップで、約5億円。キムタクが約3億円で、草なぎ剛と香取慎吾は1億~2億円。稲垣吾郎は1億円を切っていますが、皆、高給取りですよ」(民放テレビ局幹部)

■事務所のタブーを次々と破る

 そんなSMAPも、結成当初は鳴かず飛ばずだった。

「あのSMAPもすぐに人気が出たわけではなく、最初は苦労した。その頃から飯島さんはマネージャーを務め、緻密な戦略で彼らをスターダムに押し上げたのです。だからメンバーは“育ての親”に感謝し、事務所内では飯島さんの言うことしか聞かないと言われていました」(芸能記者)

“飯島さん”とは、この度の分裂騒動の当事者の1人である、飯島三智氏のこと。ジャニーズ事務所に入社して40年近くなるベテランで、肩書きはマネジメント室長だという。

 飯島室長の関係者はこう言う。

「メンバーは88年に結成されたが、CDデビューまで3年かかりました。当初はマネージャーもつかず、スケジュールはリーダーの中居君が皆に連絡していたのです。デスク(事務員)の飯島さんが見かね、現場を覗くようになり、いつしかマネージャーになった」

 そこで飯島室長は、ジャニーズではご法度だったバラエティ番組への出演に活路を見出していく。

「コントなど異例のお笑い路線は大いにウケ、一躍人気が沸騰したのです。またドラマでも、事務所の方針として、主役でなければ引き受けていませんでしたが、キムタクを二番手の役でも出演させた(93年のフジテレビ系『あすなろ白書』)。さらにキムタクには、女性誌『an・an』でヌードまで披露させるなど、事務所のタブーを次々と破りました。もっともジャニーさんは飯島さんのプロデュース能力を大いに評価していた」(同)

 この時すでに綻びの萌芽は生じていたのかもしれない。国民的アイドルのスケジュールを押さえたいテレビ局の担当者による“飯島詣で”が始まり、彼女は巨大な優越的交渉権を手にしたからである。

■後継争い

 しかしSMAPのブッキングを一手に取り仕切る彼女とジャニーズ事務所本体に軋轢が生じるのに時間は余りかからなかった。ちなみにジャニーズ事務所には、ジャニー社長とメリー副社長の他に、もう一人、代表権を持つ人物がいる。メリー氏の実娘である藤島ジュリー景子副社長だ。

 ジュリー副社長は事務所内で嵐のマネジメントを担当し、大ブレイクさせた実績を持つ。他にTOKIOや関ジャニ∞なども管轄下に置いている。一方、飯島室長は、SMAPの他にKis―My―Ft2などを担当。彼女らがライバル意識を燃やしていると見た一部メディアは、事務所内にジュリー派と飯島派があり、派閥争いが行われていると報道。2人が次期社長候補として、後継争いを展開しているとまで書き立てた。

 その内紛の存在を明確に炙り出したのが、昨年の「週刊文春」のスクープ記事「ジャニーズ女帝 メリー喜多川 怒りの独白5時間」(1月29日号)だった。メリー副社長がインタビューに応じ、胸の内を洗いざらい明かしたものだ。曰く、

「派閥があるなら、それは私の管理不足(中略)今日、(飯島氏を)辞めさせますよ」「私の娘が(会社を)継いで何がおかしいの?(中略)次期社長ですよ」

 しかもインタビュー中に事務所に飯島室長を呼びつけ、こう詰問した。

「飯島、私はこう言いますよ。『(中略)対立するならSMAPを連れていっても今日から出て行ってもらう。あなたは辞めなさい』と」

 平身低頭の飯島室長に辞職を迫る勢いだった。この時以降、飯島室長は自身が役員を務める関連会社を拠点に現場を飛び回り、本社には一度も顔を出さないようになったという。

■弁護士を立てて協議

〈時にRiskyもSafe

Dive乗っていたWave

Thrill感じてOK

切り開いて! Our way Go〉

 これは昨年9月、リリースされたSMAPの新曲『Otherside』の歌詞の一節だ。タイトルを併せて訳せば、「向こう側に向かって、道を突き進もう」となる。まるでこの時期の飯島室長とメンバーの心境を綴った詩のようではないか。彼女の関係者が飯島室長の心中を代弁する。

「飯島さんはメリーさんから、“辞めろ、辞めろ”とパワハラを受けたようなものです。追い詰められ、退職の決意を余儀なくされた」

 むろん事務所側の言い分は異なる。今後は勝手にSMAPのブッキングを行わず、事務所に決裁を仰ぐように指示したが、彼女は仕事のスタイルを変えなかった。社内には、メリー副社長に詫びを入れたらどうかと勧める者もいたという。確かにこの時点なら、まだ両者の関係は修復できたかもしれない。しかし飯島室長にも意地があったのか、2人は顔を合わせることなく、謝罪は行われなかった。

 当事者同士の意思疎通が不可能となった結果、9月に入り、双方が弁護士に依頼。仕事の進め方を巡り、協議するようになったわけだ。先の事務所関係者の話。

「事務所としては、当初は命令違反となる仕事の入れ方を改めるよう、申し入れました。しかし飯島さん側は“メリーさんの指揮、承諾を受けてのビジネスはできない”と切り返してきた。これで協議の内容は一気に彼女とSMAPの独立問題に転じて行った」

 その決着は、ご存知のとおり――飯島氏は事務所を退社し、SMAPは引き続き、“ジャニーズ預かり”となったわけである。

「特集 4対1に分裂! 『SMAP』解散への全内幕」より

週刊新潮 2016年1月21日号掲載

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